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2019.12.09

HISAKOストッパーを外しちゃいました 〜小坂井中学校 いのちの授業〜

12月は『いのちの授業』だらけです。
先日は愛知県豊川市の中学校へ。
全校生徒582名に授業を行いました。

PTA、保健センター(自治体)や
地域の幼稚園・保育園、ケーブルテレビなど
学校単位ではなく、
豊川市全体の人権学習の一環として
注力していただたことが本当に嬉しかったです。

学校が関心を持っていただき
力を入れてバックアップしてくださると
やはり、子どもたちへの伝わり方が違います!

今年は、幼稚園から大学まで
21校を回らせていただきましたが
取り組みに対するそれぞれの学校の温度差が
本当に大きくて驚きます。

小坂井中の校長

「HISAKOさんのストッパーを
全部外して話してほしい」

「HISAKO初体験の教員は
びっくりするかもしれないけど、
全教員にぜひ体験させたい!」

とおっしゃって。(^_^;)

ぶっちゃけ、
校長先生まるで関心ナシ、
授業をチラリとでも覗きにさえも来てくれない学校や、
必死にがんばっているのは養護教員だけで
あとは助産師に丸投げ・・・というテンションの学校も
あるんです。

いじめ問題や発達障害児への支援、不登校問題など、
心を育む教育が欠かせないのは
学校が一番、実感しているはずなのに。

算数や国語などのメイン教科と比べて
いのちの授業が重要視されていないことを
思い知らされることは多々あります。

助産師による出張授業と言うと
〝性教育〟を思い浮かべるかもしれませんが
わたしの授業は、
『生』を基盤とした道徳授業が軸です。

自分自身に関することでは、
善悪の判断・正直や誠実・希望と勇気・努力と強い意志

人との関わりに関することでは
親切や思いやり・感謝・礼儀・人の気持ちを考えること

いのちや自然との関わりに関することでは
よりよく生きる喜びや感動・生命の尊さ・自然愛護

これらが『道徳』なワケですが、

どれも目には見えなくて
客観的に評価しにくい内容ばかりです。

言葉が違う。考え方が違う。
多種多様な文化や
価値観を持った人と接する機会は
これからの時代、きっと増えていきます。

さまざまな違いを認めながら
協調性を持って生きていける人になることは必須ですが

神様のような人間性を「善」とし、
仏のような人徳を目指しましょうという人としてのあり方を
教えるのはたやすいことではありません。

また最近は、小学校高学年になると
自分のスマホを持っている子が急激に増えます。
つまり、コニュニケーションの方法や
対人関係の構築の仕方が、昔とは全然違うのです。

そして、核家族、共働き、少子化・・・
家庭での道徳教育もしにくい時代です。

「しつけ」「親の責任」
大事なんだろうけど、これらの言葉、
親にとってはすごい重圧です。

そもそも、
自分の育児に自信を持ってるママなんて
世の中にいるのかな?

だけど、
「いい子に育ってほしい」
という想いだけは、みんな共通で
子を育てる親にとっても
きれいごとに追い詰められる肩身の狭い社会です。

『いい子』の基準はなんでしょうね。

親が、先生が、
思っている正解を言える子、
大人にとって都合のいい子が
『いい子』と評価される・・・
これが今の道徳教育の現実です。

道徳の教科書には
「思いやり、みんな仲良く、助け合い、絆、いのちは大切」
などを導くような文章が多く、
求める答えを誘導するばかりで
多様性を認めているとは思えません。

小坂井中学校の体育館、舞台の横に
大きく掲げた教育目標が目に飛び込んできました。

「どんなにつらくてもどんなに苦しくても決して希望をすてません」
「あたたかい友情とよりよい環境をみんなでつくります」
「いつも明るい美しい心を 悪に負けない強い心をつくります」

きれいごとだけじゃ、生きていけません。
学校や集団では周りにうまく合わせつつ、建前と本音で
本当の自分は絶対曲げなくていいよってことを
わたしは子どもたちにストレートに伝えたくて、

無神経にもこの誓いの言葉を全校生徒の前で
ズバッと斬ってしまったんです!

「HISAKOさんのストッパーを
全部外して授業をしてください」

言われましたけど、
ほんまにストッパー外しちゃったわ。^^;

あとで校長先生から
学校の歴史の中で、
子どもたちへの大切な想いをこめて作られ
掲げられた誓いの言葉なのだというお話を聞きました。

校長は大きな器で笑ってくださいましたが、
不愉快な気持ちになった方もいらっしゃったかも。
小坂井中学校のみなさま、
本当にごめんなさいっっ!

すごく前向きな言葉だし、
こんな学校だったら最高。
目標として素晴らしいと思うのですが、

正直、多感な中学生には
きれいごとにしか見えないんじゃないか。
読めば読むほど追いつめられる子がいるんじゃないか。
と思ったんですよね。

学校では
「みんな違ってみんないい」と言いながら
長いものに巻かれろみたいな雰囲気があります。

教員の力量もあるだろうけど、
これこそが、日本の教育現場が抱える問題点だと思います。

道徳は、
人から押し付けられるものじゃないです。
正解がないことを無理にまとめてキレイに終わらせようと
すること自体に違和感があります。

感受性が強い子なら
演じる自分と、ホントの自分が一致しないことを
『悪』ととらえて自尊感情を損なってしまう可能性だって
あると思うんですよね。

ある中学校のいのちの授業で
赤ちゃんや妊婦さんとのふれあいタイムに
トイレにこもってしまった女の子がいました。

「自分は赤ちゃんをかわいいと思えない
変なヤツだから」

それが、ふれあいに参加しない理由でした。

赤ちゃん=かわいい
赤ちゃん=いのちの象徴

そう感じない子は、
ダメなのでしょうか。

大人が思う「正解」とは異なっていたとしても
きっと彼女は「赤ちゃんをかわいいと思えない」ことを
誠実に考えた結果、トイレにこもったのだと思うのです。

子どもは子どもなりに
頭を使って考えているはず・・・
そんな姿勢や態度こどが豊かな心を育んでいきます。

だから、赤ちゃんのふれあいの前には
どんなふうに感じてもいい、
感じたままの自分を受け止めればいい、
と話します。

行動面について
社会常識、していいこと、悪いことを学ぶという
道徳は必要です。

ですが、感情面については
自分なりの意見を持っていていいのです。
「こう思わねば間違い」は、存在しません!

うちの子も言ってます。

「要領のいいヤツに限って差別はアカン!とか
かっこいい感想文書いてたりすんねん。
そのくせ実際には平気で友達を傷つけてる」

子どもは賢いです。
彼らに提供される道徳教育が
大人のキラキラした美徳の押し付けだと
彼らは面倒なことになるのを回避するために
大人が求める正解の感想文を建前で書くことでしょう。

教科書にある模範的な友人関係は
容易には築けません。非現実的です。
きれいごとを並べただけにしか思えません。

子どもは大人が考えるほど単純ではありません。
それぞれに悩みを抱え、
日々もがき苦しんでいます。

「いのちが大切」
「しんどくても頑張る」
「他者には親切にする」

という、わかりきったことを
さらに押し付けられるのは腹がたつし、
型にはめられたら窮屈です。
だからつい、反発したくなるのでしょうね。

子どもたちが育んでいく道徳的価値。
知っている以上に気づきがあったり、
知っていると思っていたけど
本当の意味では知っていなかった、などの
発見ができる『考えるいのちの授業』でありたいです。

『いのちの授業』は、生きる力。
お勉強以上に大切な、
子どもたちの心に、本気で寄り添います。

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