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2021.05.20

相手の人生を揺るがす、発する言葉の影響力

わたしたちが日々、
何気なく口から発している言葉には
どんな力が秘められているんだろう・・・

そんなことを考えるきっかけになったのは
わたしのところに届いたこんなお手紙が発端でした・・・。

↓↓↓

私は幼い頃から食が細く、
人よりも食べるのに時間がかかる子でした。
みんなと同じ時間、
同じ量を食べる給食の時間が苦手でした。

食べること自体は好きで、
自分で好きなペースで食べることができる
家での食事時間は
嫌だと思ったことはありません。

ただやっぱり、集団行動では
決められた時間で決められた量を
食べなければいけなくて

ペースが遅くなかなか箸が進まない私は
常に先生にマークされ
「ここまでは食べなさい」とノルマをかせられ、
みんなが食べ終わっていても
先生の「OK」の出るまで
みんなが遊んでいる時間であっても
教室のすみっこで食べさせられていました。

うちの小学校が特殊だったのかもしれませんが
健康診断があった日に
小柄な子だけ給食を大盛りにされ、
私にとっては地獄のような時間がありました・・・。

その頃から人前で食べることに緊張を覚え
食べることへの恐怖、
食べなきゃいけないというプレッシャー、

私だけ担任机までおぼんを持っていき、
「これでいいですか?」と
先生からジャッジを受けなければいけない恥ずかしさ、

食へのさまざまな感情が
自分に対するコンプレックスに変わっていきました。

5年生のとき、先生がみんなの前で

「全然食べてないなー
好き嫌いしてちゃお嫁に行けないよ〜」

と言いました。

クラスメイトたちに笑われ、
その後、そのことでからかわれるようになり
私は学校に行けなくなりました。

それから強迫性障害を発症し、
中学に上がっても学校への恐怖があり
気持ちのコントロールがうまくできないときは
家や外出先で大きな声を出したり暴れたりして
入院することになりました。

その後、フリースクール、通信性高校を経て
今に至ります。

25歳になった現在も
メンタルのお薬を続けていますが
昨年12月に結婚、
そろそろ子どもが欲しいと思っています。

当たり前のことが当たり前にできなかった自分。
まともに学校に行けなかった私が
子どもを育てていけるのか?

気持ち的にも安定して生活できている今、
ふとそんな考えがよぎって
不安でいっぱいになってしまいます。

↑↑↑

言葉には人の感情や状態に
とてつもなく大きな影響を与える力が
あるんだということを
改めて考えさせられたお話でした。

わたしたちは生きて
自分以外の誰かと関わる以上、
つねに人を傷つける可能性と隣り合わせです。

わたしなりに
発する言葉は慎重に選んでいるつもりですが

一生懸命子育てしているママたち、
不安がいっぱいの妊婦さん、
人間関係で悩んでいる若い女の子たちと関わる中、

無意識に、悪気もなく放ったひとことで
目の前の相手の心を深く傷つけていることが
たくさんあるだろうな・・・思っています。

言葉の力は偉大です。
簡単に相手を元気にさせることも
傷つけることもできてしまう・・・

アドバイスをする立場の人間は
ときに〝先生〟になってしまうため
その人の発言はいとも簡単に
相手の行動や心の動きに強い影響を与えてしまいます。

そう考えると
本当に本当に!
細心の注意を払って言葉を発さなければいけないと
日々思います。

食べることが正しいことだとしても、
物事を「正しい」か「正しくない」かだけで
判断するのは危険です。

正しさだけにとらわれてしまうと
相手の気持ちや都合を想像できず
無意識に言ってはいけないことを
言ってしまうかもしれません。

〝食べようとしても食べられない〟

それって
努力や根性でどうにかなることでは
ありませんよね・・・。

正しいか正しくないかは置いといて
もし、先生が彼女の都合や気持ちを
繊細に考えることができたなら
ノルマとか、ジャッジとか
そういうことにはならなかったのかな、
と思います。

先生の行動は、よかれとの行動で、
悪気はなかったはず。
なので「彼女を傷つけた」という認識も
なかったかもしれませんね・・・。

『好き嫌いしてたらお嫁に行けないよ』

そのひとことで、彼女の「食べたい心」
そして学校に通う気力や勇気さえも
一瞬にしてへし折られてしまったわけですよね・・・

冷静に考えてみれば
食べるのがどんなに遅くても、
小食できゃしゃな体型でも、偏食があっても、
それが決定的な理由でお嫁に行けないなんてことは
ありえません。

先生の決めつけ、先生の価値観の
押し付けが、11歳の少女の心を
その後の人生を左右するレベルで
あっさりと傷つけてしまったわけです。

『当たり前のことが当たり前にできなかった自分。
まともに学校に行けなかった私が
子どもを育てていけるのか?』

世の中、
当たり前のことが当たり前にできる人は
いないと思っています。

周囲から

優秀で非の打ちどころがないすごい人!

と称賛される人物だって、

え?
そんなことが苦手なの?

ということが
ひとつやふたつあるはずです。

そもそも〝当たり前のこと〟っていうのも、
大多数の人が行うこと=当たり前
なんでしょうかね・・・

平均とか標準とか普通とか。
そこに属さない人は
当たり前のことができない劣等者なのでしょうか。

だったら12人も出産したわたしは
当たり前の人生を歩めていない
非常識なダメ人間ってことになりますね。(^◇^;)

どんな生き方をしていても
過去に何があっても

誰かと比べるでもなく
今、自分が幸せで笑顔でいられるのなら
それで十分だと思います。

笑顔でいられないとすれば・・・
〝当たり前の人生〟を歩まなかった
少数派である自分を
自分の心が勝手にダメ人間だと決めつけてしまっている
からなんですよ。

当たり前のことを当たり前にできなくても
まともに学校に通えなかった過去があっても

少なくとも!
そんな彼女は人の心の痛みがわかる人です。

子育てには外してはいけないポイントが
いくつかあるのですが、

その中のひとつ

『相手の立場になって
物事を考えることのできるチカラ』

人と人とのコミュニケーションは
生まれて死ぬまで一生続きます。
だからこそ、これは子どもに教えてあげるべき
重要項目だと思っています。

そして、

〝当たり前のこと〟ができなかったとしても
ほら、ママを見てごらん?
こんなに幸せになれるんだよ

彼女がママになったとき
過去の苦い思い出があったからこそ
これらの大切なことを
身を持って子どもに示すことができますよね!

『あなたはあなたのままでいい。
できないことを探すんじゃなくて
できることに目を向けようね』

人生におけるとてもとても大切なあり方を
子どもに教えてあげることができる彼女は、
ママになるべきだと思います!

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