子どもの頃の傷が癒えません
私は今年3月に第一子の女の子を出産した
22歳のママです。
毎日かわいくてかわいくてしかたありません。
家事も育児もまだまだ上手くはできませんが
パパと愛犬と4人で毎日幸せです。
ですが、私には今でも思い出すと
胸が苦しくて涙が出てくるほど辛い経験があります。
私が4〜5歳のとき
母は父と離婚し、私たち3姉妹を連れて
実家に帰ったそうです。
毎週日曜日しか休みのない母に、
私たちは「遊んで」と言っていました。
母が休みの日以外は
祖母が私たちの世話をしてくれました。
とても厳しい人で、お箸の持ち方、姿勢など
毎日注意されていました。
ある日祖母に
「末っ子のお前が一番ダメな子だ」
「お前なんか産まれたのが間違いだ」
と何日も言われ、
お昼を食べさせてもらえなかったり、
お箸が持てないから夕食は食べるな、
と言われたりしました。
最初は、姉がいる前では優しかったのに
だんだんと関係なくいじわるをされるように
なっていきました。
母は朝早く家を出て、
夜の0時に帰ってくるような生活だったため
そのことに気づいていませんでしたが、
母が帰宅し、私が「おなかすいた」と
泣きながら言うと
薄暗いキッチンで「パン食べなね」と
渡してくれました。
その後、母は祖母に
何か話をしたみたいですが
母には
「もっとしっかりしなきゃ。ハキハキ喋らないとダメだよ」
と言われ、
祖母には
「何チクってんだよ。ふざけるな。
お前なんかかわいくない」
と嫌がらせがヒートアップしていきました。
そんな生活は小学校2年生まで続きました。
その頃には、姉たちも私に向かって
「ブス、こっち見るな」などと言っていました。
一番しんどかったのは、
誕生日に母から、
仲間外れにされるゴリラの子の絵本を
もらったときです。
姉たちは私に
「ゴリラに似てる。あんたもこのゴリラと一緒だ!」
と、家族の前で笑っていました。
なんでこんな本くれたんだろう・・・
小さいながらにすごくすごく不思議で
苦しかったのを覚えています。
今は祖母も亡くなって、
姉も母も私に対して普通に接してくれています。
娘のこともかわいがってくれています。
ですが、私の傷は決して癒えていません。
どうしてあのとき誰も助けてくれなかったのか。
どうして今、普通でいられるのか。
不思議でたまりません。
これから先、私のかわいい娘が母や姉たちに
傷つけられてしまうかもと思うと
怖くてしかたありません。
たまに写真や動画を送ると
「かわいいね」と返ってきますが、
本当に思ってるの?
本当はどうでもいいんじゃないの?
と思ってしまいます。
私はどうやって母、姉たち、義両親と
関わったらいいのでしょうか。
↑↑↑
本当に辛い経験でしたね・・・。
ずっと心の中に抱え込んでいたことを
勇気を出して打ち明けてくださったことに
感謝します。
子どもの立場からすれば
地獄の日々でしたね。
強く生きてくれてありがとう!
今は素敵な旦那さんとワンちゃん、
そしてかけがえのない赤ちゃんと
幸せに暮らしておられるとのことで
安心しました。
さて。
3姉妹を連れて実家に帰り
子育ての大半を任さなければならなくなった
お母さんの気持ち。
急に3人の孫のお母さんがわりを
しなければならなくなった
おばあちゃんの気持ち。
きっと、どちらにも葛藤があり
かなりしんどかっただろうなぁと思います。
お母さんは
せめて、子どもたちに金銭的な我慢を味わせたくなくて
実家にも経済的負担をさせることがないよう
必死で働かなくちゃいけない
って思っていらっしゃったんじゃないかな・・・。
わたしも子だくさんシングルマザーを
経験したのでよくわかりますが
子ども1人のシンママでもたいへんなのに、
それが3人ともなれば
たいへんって次元を超えます。
家にお母さんがいなくて
子どもたちはさぞかし寂しかったですよね・・・。
お母さん自身も
そのことを自覚し、葛藤していらっしゃったかも
しれませんね。
それでも・・・食べていくために
朝から夜まで必死に働くことが
お世話になっている実家と、
子どもたちに対する報いだと、
考えていらっしゃったのかもしれません。
そしておばあちゃんは、
大切な娘が孫を連れて戻ってきたとき
自分の第二の人生を投げ打ってでも
娘と孫のために全力でサポートしようと
意気込まれたことでしょう。
ですが、現実は甘いものではありませんでした。
人生には、気合いだけでがどうにもならないことが
あるのです。
子育ては、体力勝負です。
精神力も必要です。
若い頃ならエネルギッシュに立ち向かえたことにも
歳を取るとうまく適応できなくなることがあります。
おそらく当時のおばあちゃんは
自分の健康状態にもさまざまな不安を感じる中、
自らを奮い立たせて
がむしゃらにがんばっておられたのではないしょうか。
また、世代的に
孫の子育ての重圧に重なって
もしかしたら更年期障害もあったのかもしれません。
本当はとても孫の世話どころじゃない
身体状態と精神状態だったことも
安易に想像できます。
とはいえ、幼いあなたに対する言動は
確かに目に余るものがあるし、
してはいけないことだったと思います。
4歳の子ども、小学生のお姉ちゃんたち。
3人の孫たちの年齢を考えたとき
物理的にお世話がたいへんなのは
やっぱり4歳児なんですよね・・・。
娘(お母さん)から任された子育てだから、
しつけもしっかりしなくちゃ。
私の力量にかかってるって、
おばあちゃんは必死だったのかな。
精神的にも体力的にも
もういっぱいいっぱいで、
されど逃げ場もなく、
壊れてしまいそうだったのかもしれません。
そしてお母さんも、
そんなおばあちゃんの疲れを
なんとなく感じておられたかもしれません。
実母に負担をかけている申し訳なさ。
自立しきれない不甲斐なさ。
かといって、助けてもらわなければ
到底仕事は続けられないことも
重々わかっていて・・・
そんなことを自覚していたから
あなたを守りたい気持ちはあれど、
おばあちゃんに強く言えなかった
ということもあったかもしれません。
当時、2人のお姉ちゃんたちが小学生だったとすると
一番下の妹に
「ブス」「死ね」「消えろ」「こっち見るな」
などの暴言を吐くことに関しては
ごくありふれた光景かと思います。
道徳的に、人間としてどうなの?
と言われるかもしれませんが、
きょうだいってそんなもんかな、と思います。
うちの子たちを見ていても、
年中さん〜小学校低学年ぐらいの子は
何もできないくせに一人前な口を聞いてくる。
かと思えばすぐ泣いてうるさい。
上の子たちから見れば
一時的にうっとおしい存在なんだと思います。
ゴリラの絵本の件は、
意図的ではなかったんじゃないかと思うのですが・・・
事実はどうだったのでしょうね。
それにしても、
ちょっと配慮が足りなかったですよね。
いじわるは小2ぐらいまで続いたとのことで、
その後、いじわるがなくなったのは
あなたが成長して物理的な手が
かからなくなってくる年齢に達したからでしょう。
大人になって
お母さんもお姉ちゃんたちも
ごく普通に接してくれているとのこと。
あなたの心の傷は深いけれど、
きっとね・・・昔も今も
家族はあなたのことが憎かったり
嫌いだったりしたわけではなかったと思います。
幼い子どもは
親や周囲の愛情を十分に受けずに育つと
自己肯定感を抱きにくくなります。
「自分は価値のない存在」という感覚に襲われて
しまいます。
精神的なショックや恐怖などによる
心の傷は、時間の経過とともに
癒される人もいますが
いつまで経っても過去のトラウマから脱却できず、
傷が癒えない人も少なくありません。
とくに、幼少期に受けてしまった心の傷は
のちのちの人生にもマイナスの影響を
及ぼし続けます。
あなたの心の根底には
「おばあちゃんから一方的に〜された」
「姉たちから〜された」
「お母さんに〜された」
という思いがあり、
相手を責めてしまい、
なかなか前に進めないのですよね。
自己肯定感が高く考え方がポジティブな人は
過去のできごとを悲観し、
「自分は心に傷を抱えている」と感じても
長くは続かず、
今、現在進行形で幸せで、
お母さんやお姉ちゃんたちと良好な関係が築けているのなら
「いつまでも済んだことを哀れんでいてもしょうがない」
と、気持ちを切り替えることができたら
いいですよね。
逆に自己否定が強い人は
なかなかその状態から抜け出せなかったりします。
心の深層には、
より複雑な心理状態が隠されています。
「どうして自分だけがこんな目に・・・」
と思う根底には
「相手に一方的に〜された」
という自分を正当化する気持ちや
自分がこうなったのは、家族や環境のせいだ
という自己防衛の心理も潜んでいます。
当時のお母さん、おばあちゃんの
苦労、苦悩、葛藤を想像し、
目を向けてみるゆとりができれば
過去のトラウマをもっと客観的に見ることができ、
感情に支配されることなく
捉え方が変わる可能性もあるのではないかと
思いますよ。