「めんどくさい」を連発する子どもたち
わたしは日常生活のさまざまな場面で
「あ〜もうめんどくさい!」
と思うことがあります。
ごはん作るのめんどくさい。
掃除するのめんどくさい。
ホントは人見知りなのに
円滑な人間関係を構築するために
必死の笑顔でコミュニケーション、
めんどくさい。
生活していく上で
やらなくちゃいけないこと
頭ではわかっているけど
ついついめんどくさくて後回しに
してしまうことも多いです。
なんでめんどくさいのかなぁ?
考えてみましたが、
大人になっても自分の感情って案外わからなくて
なんでこんな気持ちになるのか
自分でも理由をうまく説明できません。( ; ; )
でもまぁ、ざっくり
心や脳に負担がかかりそうなときに
「めんどくさい」というメッセージを発して
逃げの姿勢に入ることでストレス回避しようと
してるんだろうなと思います。(^◇^;)
好きなことをして楽して
ゆったりのんびりボケーっと
楽しく呑気に生きたいです!(笑)
つまり、
わたしにとっての「めんどくさい」は
楽して生きるための
便利で都合のいい、
〝甘ったれぐーたらワード〟なのかも!!
小学生、そして中学高校・・・
思春期が近づくにつれ
子どもは「めんどくさい」をよく口にするように
なります。
発達障害(自閉症スペクトラム障害)の
中学2年生、ななちゃんはとくに
小学生の頃から不安になったり
気持ちが落ち着かなくなると
「めんどくさい」という言葉を連発していました。
わたしの、単純に甘ったれな
「めんどくさい」とは
ちょっと意味が違って、
口癖のようにななちゃんから発せられる
「めんどくさい」の言葉の奥には
とてつもなくシビアで複雑な意味が込められて
います。
1日中机に向かうの、
めんどくさい
みんなの会話の中に入っていくの、
めんどくさい
学校に行くの、
めんどくさい
発達障害から紐づく
独特の脳の認知回路は
努力すればどうにかなるものではない
不変のものです。
ななは、今までもずっと
生きづらさを感じてきたし、
これからもそれは変わることがないでしょう。
学校に行きたくないには理由があるけど、
その理由の伝え方がわからない。
だから、めんどくさい。
嫌な理由がたくさんありすぎて
頭がまとまらない。答えられない。
だから、めんどくさい。
自己防衛の意味もあって
定型発達の人に自分の胸の中を話しても
どうせ理解してもらえないだろうから
言いたくない。
また傷つくかも・・・
だから、めんどくさい。
そんな悩み苦しむ日々にもう疲れた。
だから、めんどくさい。
「めんどくさい」という言葉で
これ以上自分が傷つくのを回避、
自分を守っているのだと思います。
そして、本音を言ってママを心配させたくない
という彼女なりの思いやりの気持ちも
あるのかもしれないなぁ・・・と
キュンとします。( ; ; )
発達障害があろうとなかろうと、
子どもは成長とともに多様で複雑な感情と
付き合っていきます。
きっと、
子どもの発する「めんどくさい」の一言には
いろんな意味があり
わたしがめんどくさいと思うのとは
まるで重みが違うんじゃないかな・・・。
どうしても嫌だ!
絶対に無理!
助けてよ!
もう、全部めんどくさい!
その苦しみは、
いかほどなのでしょうね・・・。
大人はつい、
なんで嫌なの?
何が嫌なの?
なんでめんどくさいの?
なんでやりたくないの?
じゃあどうしたいの!
問い正してしまいがちです。
もちろん大人は、
心配する気持ちから声をかけるのですが
子どもからすれば
「何もわからないくせに。
めんどくさい!」
と思うかもしれませんね。
発達特性ゆえに。
そして定型発達であっても
まだまだ人間形成途中の未熟さを抱えているゆえに、
本当に小さく些細なことに過剰反応して
傷ついてしまう・・・
心がいっぱいいっぱいで
気力がなくなっているときは
やるべき多くのことに対して
「めんどくさい」という言葉を
発するだけでも精一杯なんだろうなと思います。
一時的に心が傷ついても
時間が経てば必ず回復していくので
ななから「めんどくさい」が出たときは
過干渉にならずに少しそっとしておきます。
子どもは、あれと、これと、それと。
複数のミッションを
頭の中で優先順位を整理しながら
要領よくこなしていくことが苦手です。
ななは突き抜けて脳内整理が不得意なので、
その苦手意識は
我慢できないほどの激しい嫌悪感
というネガティブな感情を生みます。
そう考えると
「めんどくさい」の言葉の真意は
実は障害に紐づいた、
あるいは発達段階に関連した、
どうしようもない困りごとという
高い高い壁の前で
立ちすくんでいる状態だと
受け取ることができます。
「こんなことぐらい。
めんどくさいばかり言わないでよ!」
言葉をそのまま受け取るのではなく
「もしかしたらこの感情って
子どもならではの困りごとなのかも?」
「もしかしてこの感情って
発達障害の困りごとなのかも?」
見方を変えた発想をすると
頻発する「めんどくさい」を
受け止める側の心にも
優しいゆとりが生まれます。
彼女の心の負担を小さくするために
どうしてあげたら壁の向こうに行けるかなと
同じ言葉を聞いても
捉え方の世界が変わることがあります。
ママが子どもの「めんどくさい」を
どう受け取るかによって
困りごとの迷路の中に迷い込んでしまうのか、
それとも苦手の再発見や
適切な環境整備に繋げていけるのか。
子どもを取り巻く未来の状況は
180度、変わる可能性があるのではないかと
思います。
だから、わたしにとって
一見、負の言葉と捉えがちな
「めんどくさい」は
ななの生きづらさを軽減し、
一歩前に進ませてくれる
ヒントが隠された魔法の言葉なんです。
なな以外の小学生以上の子どもたちも
「めんどくさいー」ばかり言ってますが(^◇^;)
「めんどくさい」って伝えてくれて
ありがとう〜!と
感謝の毎日です!