宝の山
右も左もわからないまま、
見よう見まねで「なんちゃって農業」を
始めて季節が一回りしようとしています。
一般的な慣行農業を経て2年目。
無肥料、無農薬の
自然農法での野菜栽培の師匠に出会い
その考え方に感銘を受けました。
新しいいのちを育む可能性を秘めたわたしたちの
身体のすべてを作っているのは
毎日食べている食事ですよね。
つまり、今ここに生きている
わたしたちの「いのち」を健全に
守るための「食」を大切に考えることが
時世代の「いのち」につながっていくのです。
そしてもっと大きな規模では、
わたしたちのそのような意識が、
地球を守り、宇宙を守るということに
気づきました。
慣行農業の考え方では作物以外に畑に勝手に
生えてくる草は「雑草」と呼ばれ
農業の敵でしかないけれど、
自然農法では、それぞれの草にはすべて
役割があると考えます。
その土地土地において、
土の中に足りている物質と
足りていない物質があって
不思議なことに
足りていないものを生産できる草が
勝手に生えてきて不足を補うのだそうです。
カルシウム不足の土地ではスギナが生えて、
カルシウムが補われます。
そしてカルシウム不足が解消されれば、
次に足りない物質を補う草が生えてきます。
自然ってすごいですねー!
計算ずくの完璧な循環です!
土を浄化するために意味あって
そこに生えてくれている
草を「雑草」と言って邪魔者扱いするのではなく
野菜も、自然に生えるさまざまな草も、
土の下の根っこの部分で
お互いが足りないものを補い合って
共栄共存していく。
それが自然農法の考え方です。
これってわたしが思う、
母乳育児の考え方と似ています。
いくらごはんを食べていても、
2歳ぐらいまではまだまだ抵抗力の弱い子も
少なくありません。
だから母乳由来の免疫物質を、
ママのおっぱいから
いただく必要があるのです。
いずれ、少々のウイルスや細菌にもビクともしない
強い身体に成長したとき、
子どもは母乳を必要としなくなって
自然に卒乳していきます。
つまり、免疫不足の子ども(土)は
母乳(ススキ)を欲しがって
免疫が補われます。
そして免疫不足が解消されれば
次に足りない栄養素を補うかのように
急に子どもはよく食べるようになります。
子どもの心身をまんべんなくパーフェクトに
育て上げるために意味あってそこに存在するおっぱいを
「1歳過ぎてるのにまだ飲んでるなんて恥ずかしい」
と世間体だけで嫌うのではなく、
母乳も、成長とともに食べられるようになる
さまざまな食材も、
必要がなくなるまでは共栄共存していくのですね。
やがて、子ども(土)が十分に成長した
(豊かに肥えた)ときに
母乳(ススキ)は必要がなくなっていくわけで、
その自然に訪れる時期を
のんびりと待てばいいのです。
ほら。
自然農法のメカニズムとそっくりですね!
空き地には、いろいろな種類の草が生えています。
それがいつしか草原のようになり、
やがては森になっていきます。
地球上の土地の中でもっとも豊かなのが森の土であり、
自然界に存在する森は、
浄化された『いのちを生み育むことのできる土』
の集大成と言えます。
わたしの家は山の斜面に建っています。
斜面の半分は、一面のみかん山。
そしてもう半分には見渡すかぎり
ススキが生い茂る壮大な景色が広がっています。
ススキなんて、
意識してまじまじ見たこともなかったけど
改めて目を向けてみると、
冬のススキは穂に銀白色の綿毛がたくさんついて
地面より上に出ている部分は枯れて
ドライフラワーみたいになって
そよそよと風に吹かれ黄金色に輝き、
とってもキレイです。
ススキは比較的やせた土地に群生するそうです。
背が高いススキのような草は土の下の根っこも太く
そのしっかりした根が土を奥のほうから自然に耕し
1000年単位で小さな虫やミミズ、
バクテリア、菌などの微生物を呼び込み、
岩石でさえ砕いて柔らかく肥えた
最高の土に変えていってくれるそうです。
そうするとその土地にアカマツなどの
先駆者的な樹木が生えてきて
ススキは役目を終えてそこから消え、
そのかわりにしっかりとした樹木の生える森林が
出現します。
秋冬を象徴するススキは
昔は日本人の暮らしには
欠かせない存在だったそうです。
農家の茅葺き屋根は、実はススキで作られています。
ほかにも、家畜のエサにしたり、
炭を運ぶときの梱包材としたり、
縄や草履などの生活用品にも利用されました。
かつては大量に必要だったことから、
ススキの草原は
農村の近くに必ずあったそう。
人々の暮らしを支えながら、土地そのものを
しっかりとした幹を持つ森に変えてくれるって
コツコツと気が遠くなるような仕事です。
すぐに結果が出ることじゃないです。
継続は力なり!!
人間に雑草扱いされても
ススキは文句ひとつ言わず、
黙々と自分の与えられた役割を成し遂げていくって
すごいなー・・・。
師匠はうちの裏山のススキの草原を
「宝の山だー!」と称しました。
最初はその感動の意味がピンと来なかったのですが、
ススキのしている自然的役割は、
日本的「共生」や「和」の精神だということに
気づきました!
ススキの生態は、
「慌てない」「急がない」「比べない」
「多くを求めない」
子育ての真髄とまったく同じ。
家の窓を開ければ手が届く位置に見えているのに
これまでまったく視界に入ってもこなかった
ススキの群生する裏山に改めて意識を向けてみたら
枯れススキの荒地が急に師匠の言う
「宝の山」に見えてきて
風にそよそよとゆれる大量のススキの穂が
ちっぽけなことに一喜一憂する
未熟なわたしを「まぁまぁ落ちついて」って
穏やかに微笑みながら
包み込んでくれているように感じられ、
その魅力に今まで気づくことができなかった
自分の貧相な感性に
「もったいなかったー!」と悔やむと同時に
新鮮な気づきを得ることができたことに
ひとりウキウキしています。
こんな途方もないスケールの
素晴らしい仕事をしてくれている草たちに、
人間はどうして除草剤をまき、
わざわざ肥料を与えて食べられる
作物だけを選択的に
育てようと不自然な行為をするのでしょう?
化学肥料をまけば、野菜の収穫スピードが上がり
大きな野菜ができるので見栄えもいいかもしれません。
農業で生計をたてていくとなると
やむを得ないのかなぁとも思います。
だけど、一般的な慣行農法で育てた野菜の細胞と
自然農法でじっくり育てた野菜の細胞を
顕微鏡で見せてもらうと
化学肥料や農薬を一切使わない
自然農法の野菜の細胞は
ぎっしり身が詰まって濃度が濃く、
慣行農業の野菜の細胞は
スポンジみたいにスカスカでした。
その差は歴然!
あまりの違いに言葉も出ません。
化学肥料で育った野菜は
親のレールのもとで、お勉強ばかり
させられて育った子どもみたいだなぁって思います。
もちろん、お勉強も大切なんだけど、
学習能力は高くても、誰かを思いやる慈悲の心や
人としての『徳』を学ぶ機会が抜け落ちてしまっては
結局は豊かな人生は歩めません。
自分の力で失敗を糧にして
力強く生きていく力を養うことの重要さ。
さまざまな環境のさまざまな価値観の人を
否定することなく誰にでも愛を持って接することのできる
寛大な心を、親は、子どもの個性を焦らず見守りながら
回り道しつつもいつかその能力が開花できるよう
育んでいくことが大切なんじゃないかと思っていて、
それって、
育てていくのに時間はかかるけど
密度の濃い、栄養価の高い
自然農法の野菜みたいだなぁと思います。
子育ても、野菜作りも
インスタントではできません。
じっくり時間をかけてこそ、いい味、深み、
抜群の栄養価が引き出せるのですね。
これから妊娠しようとする女性の身体(子宮)を
土に見立てたなら、
自然に逆らわず生命力の強い自然農法の野菜(ススキ)を
食べ続けることで、土(子宮)はやがて
生命を育む森(妊娠力に富んだ身体)となることでしょう!
もちろん、
妊婦さんにも、授乳中のママにも
未来を担う子どもたちにも!!
生まれた瞬間から生命力にあふれた子どもたち。
アレルギー発症率もグンと減るかもしれないと
想像しては暖かい気持ちになり、
にやけてしまうわたしです。
ススキは、わたしたち日本人の仲間です。
科学肥料や農薬の散布で汚染された土壌、
耕作しすぎることで微生物がいなくなり
腐植できなくなった痩せた土地にふたたび栄養素を与え、
毒素を浄化してくれる偉大な草。
見る人にとっては
単なる雑草の生い茂るただの裏山も、
見方を変えればキラキラ輝く「宝の山」なのです。
今まで見えてもいなかった素晴らしい風景。
ススキの宝の山、
土を浄化してくれてありがとー!