水平線に想う
日曜日、
久しぶりに三重県志摩の海に
行ってきました。
海!
となると
いつものことながら
夜中3時半に起きて戦闘開始・・・
いえ、家事開始。
そして早朝4時半には、その日の夕食完成。
海に行く日ぐらいは外食して帰りたいけど、
連れていくのは
小学生以下の子どもたちだけなんです。
大きい子たちは、
「日焼けしたくないー」
「友達と約束してるー」
「勉強しなあかんしな〜」
「今日は1日バイトや!」
言うことが
すっかり老けて・・・
いや、大人になってきました。
ハイティーンエイジャーたちは
親と一緒にお出かけする楽しみより
優先すべき貴重な「自分の時間」が
できつつあります。
となると、
留守番チームの夕食
ほっとくわけにもいかなくて。
そんなの自分たちで
やらせればいいのにー。
と、よく言われるのですが、
性格的にできないんですよね〜。
料理は好きなので、いいんです。
ということで
早朝5時しゅっぱ〜つ!
自宅の周りも山と畑、緑と広大な空に囲まれ
自然をカラダいっぱいに
感じることができる環境なのですが、
同じ自然の豊かさの中でも、海はやっぱり格別です。
大自然を感じる心の『規模』が
大きくなります。
180度望める大海原の水平線を見つめていて
地球ってほんまに広いんやなぁ・・・。
その地球規模の豊かさに抱かれて
自分はここに生きてるんやなぁ〜。
なんかすごいよなぁ〜。
と、思いました。
2歳児、3歳児は
いつもならイヤイヤ全開で
困らせらてばかりだけど、
海に来るといつまででも
ほっとけばずーっと。
波とたわむれ、一心不乱に遊んでいます。
ときより、水平線をじっと見つめたまま
海に向かって仁王立ち。
大人には見えない大自然の「何か」と
交信しているようにも見えて
もしかして万物とテレパシーで
語り合う能力を持っているのでは?!
などと、
妄想してしまいます。
暑いんだけど、爽やかな海風。
海原の静けさに太陽光がひかり、
眩しい光景は自然そのもの。
水平線の彼方には、希望が生まれます。
小学生たちも、
普段ならきょうだい喧嘩ばっかりなのに
海に来ると本当に仲良く過ごしてくれます。
きょうだいも仲良くなるし、
海とも仲良くなって
積極的にどんどん海水の中へと
入っていきます。
子どもたちの精神状態をこんなにもたやすく
落ち着かせてくれる海。
いったいどんなパワーを
秘めているのやら。
「母なる海」っていうけど、ほんまやなー。
ある意味、子どものなだめ方、子どもの扱い、
完ぺきやん!!
なんてできた母でしょうか。
広大な水平線を眺めていると
子どもが少々ごはんを食べてくれなくても、
なかなか寝付いてくれなくても
泣き始めると収拾つかなくなっても
ちっぽけな悩みなど、
どうでもよくなってきます。
大昔の人が
水平線の先はどうなっているんだろうか?
巨大な滝になっているんだろうか?
世界はそこが果てなのか?
と想像したのもわかるような気がします。
船に乗ってその水平線を超えたとき、
船乗りたちはどんなに驚いたでしょうか。
行けども行けども水平線しか見えず
そして陸地が見えたとき、何を思ったでしょう。
地球が丸いこと、その不思議さに
気づいたのでしょうか。
ともかく広い広い水平線。
そして、夏の透き通った海水の美しさ、
波打ち際で海水を手にし、舐めてみるとしょっぱい。
当たり前なんだけど、不思議です。
日曜日は引き潮で、満ちているときに比べたら
20mぐらいは波が引いていました。
これって太陽の引力に海水が引っ張られている証拠
なんですよね。
地球の鼓動というものが
なんとも恐ろしいほど大きいことも知らされます。
宇宙の中の地球は本当に大切にしないとね。
想いはそこに到ります。
海は広くて限りなく
海の不思議も限りないものです。
まだ発見されていない生きものが
いったいどれぐらいいるのでしょうか。
人間は宇宙へ飛んで
月の石まで持ち帰ったけれど、
地球の海のいちばん深いところへは
とてもじゃないけど、まだ行けないんです。
考えようによっちゃ、月より遠い海なのです。
女子の諸事情により(笑)
この日はサーフィンおあずけだったわたしですが、
人間のふるさとの
ずっと奥にある
すべてのいのちのふるさと、
海を心ゆくまで堪能した1日でした。