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2016.11.29

『いのちの授業』8歳バージョン

今日は
『いのちの授業』小学校2年生バージョン
に行ってきました。

先月生まれたととちゃんは、
いのちの授業の生きた教材です。
彼女は生まれてから
授業のたびにあちこち学校を訪問させていただき
かれこれ150名ほどの中学生や小学生に
だっこしてもらいました。

身体を張って、子どもたちに
いのちの素敵さを教えてくれる1ヶ月児!

新生児人形を使って授業をしても
子どもたちに伝わるものは微々たるものですが
本物の赤ちゃんが持つエネルギーはすごいです。
格が違います!

生まれて間もないのに
こんなに働いてくれて
ととちゃんにはバイト代払わなあかんな〜
って、思います。(笑)

さて、いのちを大切にすることは
人間の歴史が始まってからの命題です。

いのちには限りがあって、
どんなに医学が進歩しても死は必ず訪れます。

死をどう迎えるのか。

いのちの終了というタイムリミットから
できるかぎり遠回りすることが人生です。

自分が生まれてきたこと、
人生で関わらせてもらった人たちと
一緒に生きることができたことに感謝して
「ありがとう」の言葉で
最期のときを迎えることができたら
それは死んで行くその人だけでなく、
遺される人たちも
そこから力を得ることができますよね。

いのちの大切さは
さまざまなところで語られるけど
いのちとは何か?と言われると
漠然としていてよくわかりません。

今日の授業では
8歳の子どもたちから

「いのちとはひとつしかないもの」
「いのちとは心がつながっていること」
「いのちとは栄養」

いろんな意見が飛び出しました。

いのちは目に見えないけれど、
みんながいつも持っているもの。
今、この瞬間にもいのちはあって、
そしてそれを、それぞれが自分のために
使っています。

授業では、臨月妊婦さんに協力いただいて
ドップラーを使って
胎児の心拍をみんなで聴きました。

うわ〜生きてる!

子どもたちの目が輝きます。

続いて、8歳児の心臓の音も
みんなで聴きました。

心臓はいのちを保つために
血液に乗せて酸素と栄養を脳に送って
人間が物事を考えることができるようにさせ、
同じく手足に血液を送って
動かせるようにしています。

いのちを支えるのに
心臓はポンプの働きをしています。
でも、心臓がいのちではありません。

今日、わたしは
朝から子どもたちに朝ごはんを食べさせ、
赤ちゃんに授乳をして
保育園と小学校に送り届け、
後期中間テスト中の高校生を激励し、
いのちの授業に出かけました。

それはすべて、
自分のために使った時間。
子どものために費やした時間のようだけど
自分がやるべき使命のために
使った時間なんですよね。

自分のために学び
自分のために遊び
自分のために食べ
自分のために眠る。

いのちとは
『自分でどうにでも使える自分が持っている時間』
なのです。

自分に与えられた時間、
あなたのいのちを、
あなたはどのように使いたいでしょうか。

自分のために使うもよし。
自分以外の誰かのために使うもよし。

草木のいのち、動物のいのち、
人のいのち・・・

それは、限りなく続く時間ではありません。
いつか必ず終わりがある時間であり、
ゴールがあるいのちだからこそ
尊く大切なのです。

長い人生の中では
いくつもの失敗があると思います。
偉そうに語っているわたしですが、
「あ〜やってしもた!」「わ〜間違えた〜!」
毎日、そんなことの繰り返しです。

失敗したときに、それをどう咀嚼するのか。

どうせ自分なんて・・・
ネガティブモードに突入し、
殻に閉じこもってしまうのか、

それとも
その反省を糧にするのか。

大人には、自分の人生の失敗を
若い人に伝え、
同じ過ちを若い人にさせないように
導いていく使命があるはず。

だからわたしのいのちの授業は、
決して、上から目線の話だったり
こうなければならない、という
押し売りの話ではなく、
むしろ子どもたちと同じ目線で
自分の失敗を例にあげつつ、
さぁこんなとき、どうしたらいいかなぁ?
みんなで考える授業をモットーにしています。

先日の中学3年生を対象としたいのちの授業で、
校長先生がおっしゃいました。

「いのちとは生きていること。
一生懸命、生きること」

結局のところ、シンプルに考えると
いのちを持っているということは
生きているということで、
ただし、ただ生きるだけではなく
「一生懸命」でなければならない、と。

いのちという制限時間内に自分のやりたいことを
成し遂げるために一生懸命もがくのが
「生きている」ということです。
なるほど!と思いました。

いのちを持って生まれてきたおかげで、
わたしたちは楽しいことや素晴らしい人たちに出会えます。
生きていれば、よかったことが誰にでも必ずあります。
もしも何もいいことがないと思っていたとしても、
それはただ、見えていないだけです。

わたしたちがこうして行動を起こすことができるのは、
いのちを持っているからこそですよね。
いのちが人間の乾電池やバッテリー的役割で、
力の源になっているのかもしれません。

いのちを燃やして人は
いろいろな困難に対して取り組み、
打ち勝っていくのです。
本来ならば人間一人の力では
なしえないような大きなことも、
生きている人たちがいのちを懸けて取り組めば
やがて達成することができますね。

その過程で倒れてしまっても、
またそれを引き継ぐ人が現れれば
いつかは達成できることでしょう。
だから、散っていったいのちも
これから生まれてくる新しいいのちの力になります。

また、いのちを持っているさまざまな動物を食べて
わたしたちはそれをエネルギーにもしています。

いのちは過去から未来へと
つながっている・・・

『いのちは力』

なのですね。

いのちの授業を始めて
もう10年になりますが、

「いのちとは何か?」

まだまだわたし自身
模索中〜。

きっと明確な答えが出ないまま
いつか天命を全うしたとき
「ありがとー!」と言って
わたしは天国に帰ります(^ ^)

まだ死なないけどねっ!

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