不登校。焦り、葛藤・・そして待つことの意味(2)
不登校になって3年目。
やっとわたしは考え方を変えました。
「がんばれ」と励ますのではなく
「今までがんばってきたんだな」と
子どもの気持ちに寄り添うように
なりました。
悩んで悩んで悩み抜いて
心理学に詳しい専門家と話すたび
「不登校にしてしまった原因を
自分が作ったんだと責め続けている気持ちを
まずは捨てなさい」
というアドバイスを複数
もらいました。
児童虐待という例外を除いては
親の性格や育て方とは関係なく
どんな育て方をしていても、
どんな子どもでも、
不登校になるときはなる。
どんな家庭環境でも
愛情ベースで育てられていたら
不登校にならずに元気に登校している
子どももたくさんいる、と。
何年もかかったけど
ようやくそのアドバイスに
耳を傾けることができるようになり
心が軽くなりました。
不器用だったかもしれないけど、
たくさんの愛情で
子どもを育ててきた「つもり」
だったから・・・。
そこから、
どうしたら学校に行けるか、ではなく
どうしたら家で安心して休めるかを
大事にできるようになりました。
子どもが不登校であることを
恥ずかしいと感じなくなり、
きちんとした母親、きちんとした家庭で
ありたいと、他人の目を気にしすぎる
こともなくなりました。
前提として大切にしたのは
無理に登校させることもせず
登校しないこと責めることもなく
不登校の原因にこだわりすぎず
今の学校への登校再開にもこだわらず
親子間だけで問題を解決しようとせず
支援団体や専門家に相談しながら
子どもの意思を尊重しました。
高校は卒業するのに時間がかかったけど、
今、わが子は大学生となり
将来のなりたい職業を目指して
勉強を続けています。
待っていれば、
本当に、ちゃんと自分で動き始めるんですね!
7年、8年越しだったけどね。
そして、わたしが
いい意味で開き直れたのは
まわりの人のサポートのおかげです。
苦しかった数年間。
葛藤した思春期育児。
あの経験を通して
まわりの人の言葉だったり、
わが子の気持ちを理解することだったり、
わたしは自身の価値観が
変わっていったのだと思います。
もちろん、向上心を持って
とことん100点を目指す人生も素敵です。
実際、うちの小3は、
プログラミングを極めて
レゴ社に入って活躍する!
と言ってがんばっているし、
5歳年中は
インターナショナルに通って
さまざまな文化の友達と触れ、
キレイな発音の英語で喋り
グローバルな人生に向けて
毎日とても楽しそうです。
だけど、まっすぐじゃなくても
寄り道してもいいし、
人生を歩むのはどんな方法でも
いいんじゃないかと思います。
みんなのあたりまえや、100点じゃなくて
もっと幅があっていいし、
いろんなカタチがあっていいんです。
この価値観は
子どもの不登校を経験するまでは
わたしの中にはなかったものですし、
不登校を経験しないと
持てないものだったと思います。
今、発達障害の中1を育てていますが
わたしは過去の不登校育児を経験した
おかげで、
こうあるべきとか、
こうするべきとか、
わたしの中でよい意味で
ゆるくなったというか、
そんなものなくてもいいんだなと
思うようになりました。
人生は、
100点取れなくてもいいんです。
50点でも十分。
発達障害児の子育てを
こんなに力を抜いて楽しめているのは、
不登校だった子どものおかげなんです!
彼女は通信制高校で
やりたいこと、得意なことを
伸ばしていけたらいいな!と
思っています。
どんな能力を秘めているのかな
どんな大人になるのかな
彼女の未来を考えると
もはやそこに不安はなく、
ワクワクしかありません。
待つことの意味。
必ず子どもはエネルギーを溜めたときに
自ら動き出すことを
今のわたしは知っています!