不登校。焦り、葛藤・・そして待つことの意味(1)
12人産み、育ててきたなかで
わたしは不登校を経験しました。
文部科学省による不登校の定義は
『何らかの心理的・情緒的・身体的
あるいは社会的要因・背景により
登校しないあるいしたくともできない状況に
あるために年間30日以上欠席した者のうち
病気や経済的な理由による者を除いた者』
統計によると中学生の不登校がもっとも多く
26人に1人という割合です。
かなりの率ですよね・・・。
わが子は、小学校高学年、友達関係で
ちょっとしたいざこざがあったり、
中学入学後は部活での人間関係で悩むなど
・自分に自信が持てない
・人間関係が怖い
→自己肯定感を失う
思春期特有のストレスは
あったようですが、
そこへ、家庭でも
両親の離婚問題、きょうだいの分裂が
重なってしまったのが
決定的なトリガーになり
中1の2学期からパタリと
学校に行かなくなりました。
原因はひとつではなく重複するものの、
家庭環境のストレスはかなりの比重を
占めていたと思います。
本当に申し訳なくて
心の傷を想像すると胸が苦しくて
わたしのせいだ。
わたしがなんとかしなければ!
義務と責任がのしかかって、
ただただ必死で、
事を好転させようとあがきました。
不登校になってしばらくはもどかしくて
毎朝布団をかぶってピクリとも
動かない子どもに、
「起きてよ」
「学校行かないと!」
「ねぇ、ほんとにどうするつもり?」
「こんなことしてたらどんどん行きづらくなるよ」
「今日も行かないの?」
「がんばってよ」
「もう仕事行かなくちゃいけないんだけど!」
無神経な言葉を浴びせ続け
登校を迫りました。
わたし自身、学生時代は
「学校に行かない」
という選択肢がなかったので
学校に行かない感覚が
正直わからなかったんです。
学校生活で嫌なことはあったけど
わたしは意地でも通ったから。
なので、
「甘えるな!」「怠けるな!」
の気持ちが強かったと思います。
このまま行かなかったら
勉強はどうするんだろう。
内申点がなかったら公立高校には行けない。
それ以前に、
この子は今後、
どうやって生きていくんだろう・・・
ただただ不安でした。
子どもとの向き合い方、
学校との対応、
昼間の過ごし方、
さまざまな苦悩に直面しました。
最初は、
周囲の同級生やきょうだいたちと
比べて、焦る気持ちしかなく
わたしはわたしの気持ちを優先して
不登校を受け入れることができませんでした。
そんなママの気持ちを察してか
どんどん親子関係は悪化。
お風呂にも入らず、歯も磨かず、
普通の生活ができなくなって
昼夜逆転、1日中ひきこもりになって
無気力状態になっていく子どもと
何度もぶつかりました。
担任の先生とのやりとりにも疲れてきて
中3になる頃には
「行かないのが普通」になりました。
自室でひたすらスマホ三昧、昼夜逆転、
生活リズムは乱れまくっていました。
食卓に残されたままの夕食・・・
子どもの好きなおかずを
せっせと作っては機械的にゴミ箱へ捨てる日々。
わたし自身、
涙も枯れ果て、自分の心を守るための
自己防衛だったのだと思いますが
感情が動かなくなっていることに
恐怖を感じました。
いつしか朝、声をかけることさえ
やめてしまいました。
それでも高校受験の日だけは
試験会場に行ってくれました。
無事に高校入学を果たし、
これで気分一心、次の一歩に
進めるかもしれない
とほのかな期待も叶わず、
高校1年2学期から再び不登校に。
中学とは違って、高校は
出席日数が足りなかったり
テストを受けなければ単位が取得できず
留年措置となります。
なのでやはり焦りました・・・。
結局、出席日数が足りず留年決定。
そのときにはもう
心が乱れることもありませんでした。
投げやりな諦め、
悪い意味での開き直りだったと思います。
子どものことを理解して
不登校という状況を受け入れたのではなく
問題児を育てているわたし。
問題児にしてしまったわたし。
を、世間からどう見られているのか
を想像してはしんどくなり、
そこから逃げたい。
解放されたい。
だから現実から目を反らす。
そんな自分本位な気持ちが心の中を
支配していたと思います。
その反面、幸せになってほしい。
笑顔でいてほしい。
ママとして、
わが子を愛する気持ちも本心だったので
子どものうつの本や
発達障害、適応障害、不登校などの知識を深め、
どうやってわが子に向き合ったらいいのかを
ずっと考えていました。
スクールカウンセラー、精神科、
臨床心理士との面談、
行政の教育相談、民間のカウンセリング、
ありとあらゆる専門機関にも
相談に行きました。
そのとき、どこに行っても
必ず言われたのが
「子どもは今休んでいる。
休んで自分のエネルギーが溜まったら
必ず自分から動き出すから
それまで待て」
でも、「待つ」というフレーズを
言われるたび
「動き出す日なんてくるのか」
「それはいつ?いつまで待てばいいのか」
疑問や不安な気持ちばかりが
込み上げました。
頭では待つことの必要性をわかっている
つもりでも
半信半疑で心から納得は
できていなかったと思います。
夏休みや土日、学校がない日は
比較的明るくリビングに出てくることも
あったので、
これはもう待つしかないんだな・・
と、次第に納得して
腹をくくるようになりました。
つづく。