やらなあかんか?トイレトレーニング
31年度保育園の入園申し込みの季節がやってきました。
仕事復帰予定のママたちは園の見学に大忙しです。
入園説明会で、
ある園長が〝おむつはずし〟に言及したそうです。
「おむつをはずすのは親の責任」
「3歳になってもはずれないのは、親に問題がある」
「紙おむつなんか使うからいけないのだ」
「いつまでもおむつでいるのは子どもの自立を妨げいている」
来春から
保育園に入園予定のはるかちゃんママは
「親の責任」「親の問題」「自立を妨げる」
これらの言葉に
緊張と重責を感じてしまいました。
「トイレトレーニングをすることは、
親としての義務であり、
それをサボる行為はママとして失格である」
そう言われたように感じました。
実はわたしは11人の子どもたち
誰1人トイレトレーニングをしませんでした。
なんで子育てに『訓練』が必要なんだろう・・・
って思うんですよね。
そんなもん、ほっといてもいずれ
できるようになるわい。
3歳だからトイレに行けるはず!
っていうけど・・・そうかなぁ?
子どもの発達段階は一律ではありません。
早い子なら2歳半ぐらいで
トイレで排泄できる発達段階になるでしょう。
ちょっと早めに、たまたまそういう時期に達していたから、
おむつがはずれただけのことで、
トレーニングうんぬんは、あんまり関係ないように
思うんですよね。
3歳すぎてもその段階ではない子だって
たくさんいます。
発達のスピードには個人差があるので
まだ能力が伴わないのにいくら焦って訓練したところで
進むものも進みません。
失敗してはため息をつかれ、怒られ・・・
子どもの人格形成に支障をきたすような
無意味なトレーニングに、どのような前向きな意義と効果が
あるというのでしょうか。
11人分の排泄の自立を見守ってきましたが、
自分の子どもたちを見ていて
トレーニングを重ねることでおしっこやうんちが
トイレでできるようになったとは思えません。
例えば、トレーニングパンツ。
おしっこが出ると幾重もの布の層が外に水分を漏らず、
肌に触れている面だけがビシャビシャになって
「濡れて気持ち悪い」ことを子どもに自覚させる
目的で存在します。
そもそもおしっこの自覚は、
じゃじゃ漏れになって「冷たい」「気持ち悪い」で、
育つもんじゃありません。
トイレでできるようになるには、
・膀胱におしっこが溜まっている感覚があること。
・ギリギリまで溜まって、おしっこが出る瞬間を
感知する力が伴うこと。
この2つの条件が揃ってこそです。
つまり「濡れて気持ち悪い」まで気づかない時点で、
トイレトレには早すぎるってことです。
経験的に、
トレーニングパンツなんかわざわざ使わなくても
発達段階が進めば
紙おむつをしていてもおしっこが出る瞬間
(または出た直後)を感知して
ちゃんと教えてくれます。
紙おむつは「◯時間吸収」「おしっこが出てもおしりサラサラ」
を謳い文句にしていて、サラサラで気持ち悪くないから
おむつがはずれにくく、
「気持ち悪い」を体験する布おむつのほうが
早くパンツに移行できる、という
説もよく聞きますよね。
冒頭の園長先生は、紙おむつのCMを見るたびに
不快になると説明会でおっしゃったそうですが、
それはおそらく「濡れて気持ち悪い」を
子どもに自覚させることが
排泄の自立を促すという考え方が根底にあるからだと思います。
でも、さきほどお話ししたように、
「濡れて気持ち悪い」→排泄の自立
ではなくて
「膀胱に溜まってる、おしっこが出そう(出た)」→排泄の自立
だとわたしは思います。
大人基準で、「濡れて気持ち悪い」はずなのに、
「出てないー!!」と
頑として認めず、走って逃げ回り、
ボトボトの布おむつやトレーニングパンツを
換えさせてくれない子がいますよね。
発達段階が達していないと、
濡れても気持ち悪くはないわけで、
大人の先入観を押し付けるなよー!って
子どもは思ってるかもしれませんね。
布であれ、紙であれ、そんなことは関係ありません。
濡れる感覚で排泄の発達が促されるわけじゃないからこそ、
待っていれば、はずれるときはサクっとはずれます。
◯時間ごとにトイレに誘導する、というやり方も
よく聞きますが、
そんなことしたら膀胱におしっこが溜まってる感覚が
育たないんじゃないでしょうか。
溜まって→出す!
このプロセスが大事なんですよ〜。
子どもの感覚を無視して時間決めでトイレに誘導するのは
失敗されるのが嫌だから?
座らせればチョロっと出るかもしれないし、
トイレに行って、便器に座るという
習慣はつくかもしれないけど、
たいして出したくもないおしっこを
無理に出させるという行為は
排泄の自立(脳の発達)を遅らせるただの過干渉、
時間つぶしにしかならない無駄足だと思います。
トイレトレにかかわらず、
子どもがやりたい!って意思表示をしたタイミングを
絶妙に見計らって、背中を押してあげることが
親の役割だと思います。
ひとりで服を脱ごうとしているのに
先回りして手伝ってしまったり、
自分で食べようと奮闘しているのに
横から食べさせてしまったり。
これらは「自分でできる!」「自分でしたい!」
子どもの発達に歯止めをかけている
ただの押し付け行為ですね。
子どもが「トイレ行きたい!」「パンツはきたい!」
意思表示もしていないのに
親が望む、おむつはずしの時期が来たから、という
よくわからない理由で
時間決めでトイレに誘導するのは、
ひとりで脱ぐ能力のない子を
自分でやれと放置する。
自分で食べられない子の
お世話をしない。
それと同じことです。
おむつをはずすことは、
しごきに耐える修行ではありません。
鍛練でもないし、
親の責任でもなければ、親の問題でもありません。
早期におむつがはずれることを、〝自立した子〟として
評価対象ととらえる時点で、何かがズレている〜!
と、思います。
ピリピリイライラしながら
トイレトレーニングなんかするよりも、
子どもといっぱいお話しをして、遊んで、
好奇心や豊かな感受性をたくさん満たしてあげる
関わりを持つことが一番!
・・・って書くと、
なにやら親ってたいへんそうだ。
わたしにできるのか・・・
って不安になるかもしれませんが、
要は、フツーにありのままに
日々過ごすこと!
その時期が来るのをのんびり待つこと!
そんな毎日の積み重ねが、子どもを健全に
育てていくのです♪
おむつなんて、そのうち必ずはずれます。
ほっときなはれー。