自分はどうやって生まれてきたんだろう?
わたしは1974年の1月1日生まれです。
今から48年前のお正月に
産声を上げました。
48年前は
コンビニもファミレスもありません。
三が日はみんなお休み、
お店はどこも開いていなかったそうです。
調味料や飲み物を切らしても
飲食店、スーパー、
本当にありとあらゆるお店が
全部閉まっているので諦めるしかなく
年末に食材のまとめ買いを怠ると
死活問題だったそうです。
今思えば不便な時代でしたが
当時はそれが当たり前でした。
シーンと静まり返った元旦の早朝、
母の陣痛が始まりました。
初産で要領がわからなくて
飲食できるものをろくに持たずに
病院に向かってしまったようです。( ̄◇ ̄;)
日本全国スイッチオフのめでたい元旦に
産気づいた妊婦・・・
出産はめでたいことで、
今のように『計画分娩』の選択肢もなかっただろうし、
いつお産が始まるかなんて誰にもわかりません。
なので、始まっちゃったからには
対応してもらうしかないのですが
なんで今日やねんっ!
って、当時の病院はもしかしたら
ちょっとだけ迷惑だったかもしれません。笑
お正月だけど、
病院スタッフの数は
ちゃんと足りてたのかな?
今みたいな24時間365日体制が
普通の時代ではなかっただけに、
どんな勤務体制だったのか気になります。
で、病院行ったものの
「まだ時間かかりそうだから帰る?」
って言われたそうです。
病院まで電車で1時間近く。
帰る?と言われても
だんだんおなか痛くなってきてるし
帰るに帰れず、
かといって行くところもなくて
寒い真冬のガラーンと静まったシャッターだらけの
元旦の街を陣痛と戦いながら
ただウロウロ・・・
歩けなくなってきたら
公園のベンチで震えながらしのぐ・・・という
過酷なお産だったそうです。(ありえない〜)
いよいよ我慢できなくなってきて
病院に戻り
やっと入院許可がおりました。
陣痛室(といっても薄っぺらいカーテンで
仕切られただけの大部屋)
で付き添っていた父は
腹ごしらえしようにも
お店はどこも閉まっていて
あーやってもーた・・・
空腹でフラフラになりながら
過ごしたそうです。
そんなもん言われんでもわかるやろ。
事前に考えておにぎりでも準備しとけよ〜!
って思うけど、
当時はネットどころか
マタニティー雑誌さえもまだ世の中に存在しておらず
妊娠出産の情報を得ることは
難しかった時代だったので
わからなくても当たり前だったのかも
しれませんね。(⌒-⌒; )
ちなみに、
超音波エコー診断もろくにありませんでした。
生まれてみたら双子だった!とか
逆子だった!とか
昔はなんとリスキーな
妊娠出産だったのでしょうね。
そしてまだ
『立ち会い分娩』という言葉はなく
もちろん、分娩室=男子禁制
でした。
令和を生きる助産師の立場からは
いろいろ、怖〜っ!
よくもご無事で・・・(⌒-⌒; )
と思うことだらけのお産ですが、
とりあえずわたしは
出産予定日ぴったりに
3100gで元気に生まれてきたようです。
出産時の臨場感溢れるカセットテープが残っていて
高校生ぐらいのときに
聴かせてもらった記憶があります。
助産師さんのいきみ誘導の声
最後の力を振り絞る母の声
・・・そして元気な産声!
おめでとうの歓喜の声
テープの内容は
今となってはなんとなくしか憶えていないけど
たぶん、自然陣痛発来からの経膣分娩で
テープレコーダーから流れてくる音を聴くかぎり
母はパニックになることもなく
わたしは正しい方向に回旋して
スムーズに生まれてきたんじゃないか
と思います。
モノクロの紙質の悪い母子手帳
も見せてもらったことがありますが
どんなことが書いてあったか
もう忘れちゃったなぁ・・・。
その後、いろいろあって
両親とは疎遠になってしまったので
もう出産の時の話を
してもらうことができません。
12人の母となり、子育てをし、
孫も生まれ
助産師としても知識を深め
今のわたしだからこそ、
自分がどう生まれたのか
改めてとても興味があります。
今話してもらったらきっと
昔、話してもらったときとは
違う視点で感じたり分析できたり
するんだろうな・・・と思います。
でも、知る由は
昔、話してもらった遠い記憶ぐらいしか
ないのが現実・・・・
あのときもっとまじめに聞いておけばよかったと
めっちゃ後悔です。
自分の生まれてきたときのこと。
なかには、さまざまな事情があって
知ることができない人もいるかもしれません。
知らないほうがよかった、ということも
あるかもしれないし、
知るのが怖い、というケースも
あるかもしれません。
でも、もしも知りたい!って思うのなら
ぜひご両親が健在なうちに
教えてもらってくださいね。
わたしは12回のお産を
ブログに記しています。
12人目ねねちゃんは
低置胎盤
臍帯卵膜付着
前置血管
2500人に1人の
稀な臍帯の異常がありました。
もしも診断できないまま
破水したり陣痛が始まっていたら
へその緒の血管が断裂して
彼女はこの世にいなかったかもしれません。
だけど幸い、高度な日本の産科医療のおかげで
妊娠中に診断がつき、
コロナ禍の産前管理入院を経て
自然にお産が始まる前に
予定帝王切開でなんとか生まれてくることが
できました。
そんな、ねねちゃんの
生まれてきたときの経験を
彼女自身が語れるように
時期が来たらブログへ誘導、
そしてしっかり話してあげようと
思っています!