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2019.10.01

昔の出産はそれはそれは過酷でした

わたしの祖母は大正生まれです。
母は昭和21年、終戦直後に生まれました。

当時、一家はタイに住んでいて、
終戦と同時に祖母は臨月のおなかを抱えて
ぎゅうぎゅう詰めの船で日本に帰ってきたそうです。

エアコンなんてもちろんありません。
横になるスペースさえもない超満員の真夏の船内で、
祖母は小さな3人の子どもたちを連れ
何日も座ったまま過ごしたそうです。

日本は負けた。。。

乗船しているすべての日本人が
殺気立っていたそうです。

もし、海の上で産気づいていたら・・・

たぶん、自分も赤ちゃんも
命はなかったと思う、と祖母は話してくれました。

帰国してすぐ、
家の納屋で祖母は
産婆さんの介助のもとに母を生みました。

わたしがこの話を聞いたのは
高校生ぐらいの頃だったと思います。

今となっては亡き祖母に、
もっとしっかり話を聞いておけばよかったなぁ〜。

聞いた話はうる覚えです。
ああーもったいない。

昔のお産。
どんな感じだったのでしょうか。

現在のお産は、
病院で分娩台の上で
仰向けで産むのが主流ですよね。

急に破水して羊水が大量に噴出することもあるし、
赤ちゃんが生まれる瞬間に血液が飛び散ることもあるし、
ときには産婦の便や尿が出ることもあります。

胃が刺激されて
突然嘔吐する産婦さんだっています。

だけどそんなこと
恥ずかしがっている場合じゃありません。
出産は誰だって命がけですから。

助産師はお産を介助するときに
羊水やら血液やら
かぶってしまうこともありますが、

大歓迎です!

生まれてくるいのちの臨場感に
テンションが上がります。

でも考え方によっては
お産の場は決して美しいとは言えないでしょう。

分娩する場所を準備するとき、
なによりも防水と吸水が重要ポイントになると思います。

現代の日本の分娩施設は
なるべく周囲を汚染しないようにという意味と、
赤ちゃんを細菌に晒させないという意味で
防水吸水、衛生機能は完ぺきです。

分娩台は染み込まない仕様になっているし、
使い捨ての防水と吸水力のある滅菌パットやシーツが
分娩セットの中にちゃんと組み込まれています。

分娩用パンツ、大きな分娩用ナプキン、
足を汚さず済むように、足カバーまで
セットされていて、完ぺき!

しかも、そのパットやシーツは
肌に触れたときにふわっと柔らかく
快適な感触のものになっています。
まさに至れり尽くせり

現代の日本は、
なんて恵まれた環境で出産できるのでしょうね。

昔は、今のような防水製品や
羊水や出血を吸収して封じ込める
質のよいパットなんか存在しませんでした。

生理のときだって、
ケミカルナプキンなどないから、
女性はボロ布を当てて対応していました。

そんな時代、
お産の現場は汚染との壮絶な戦いだったと思います。

お産は、盛大に汚れることを前提で
汚れても大丈夫な場所で
ひっそりと行われました。

明治の前半までは座った姿勢でのお産、
昭和の前半までは丸めた布団を抱え込む姿勢で
寄りかかったまま産むことが多かったようです。

それら、レパートリーに富んだ分娩姿勢は、
産婦の意思で自由な姿勢を選んで産む
現代の『アクティブバース』の意味合いとは
ちょっと異なりました。

土間や納戸といった汚してもいい場所、
家の中でも隠の要素の強い場所には

産婦が好きな姿勢で自由に産めるような
ゆとりあるスペースも、

好きな姿勢をサポートする
お布団や枕、クッションなどの用品も
なかったと思われます。

だから物理的に
身体を小さく縮こめて、
身体が狭い床になるべく接触しないような姿勢でしか
産めなかったのではないでしょうか。

ビニールシートでもあれば便利だっただろうけど、
そんなものさえもない時代には、
工夫をこらして少しでも汚染しないように
産む場所を手作りする必要があったのです。

冷たい床に藁を分厚く敷きつめ
その上に、よしず、花ござのような
草で編んだ敷物などを置いて、
さらに上から布をかけ、その上に油紙を敷いて
産んでいたようです。

分厚く敷いた藁なら、羊水や血液など
吸水性に富む上、お産が終わったら全部まとめて捨てる
ことができますね。

当時、赤ちゃん誕生という
本来幸せに満ちているはずの出来事は
「汚いもの」「けがれたもの」と考えるのが
一般的だったそうです。

「けがれ」が浄化するまでの産後1週間ほどは、
産んだ場所から出ることも許されませんでした。

真夏の出産であろうと、
身内の女性たちが産後の女性のそばで火を焚きました。
そして夜通し付き添い、眠らせないようにしました。

生まれたばかりの赤ちゃんと産後の女性は
魔物に狙われると考えられていたので
火を焚くことで魔物を寄せ付けないようにする
オカルト的な意味があったようです。

産後1週間までの赤ちゃん。
現代でいう早期新生児期です。

おなかの中から外の世界で生まれ出て、
胎外環境への適応するまでの数日間は
不安定な呼吸や体温、未熟な哺乳力、
生理的体重減少、黄疸の出現など
いろんな問題が起きやすいとてもデリケートな時期です。

生後5日目、退院の頃になってやっと
赤ちゃんは胎外適応の最初の山を越えます。
わたしたち産科医療従事者がホッと一安心できる瞬間でもあります。

現代の医療水準でさえそんな感じなのに、
衛生状態が悪く、快適環境の提供が難しかった昔は
早期新生児はもっと今よりずっと
胎外適応がしにくく、
免疫がないぶん、感染症にかかるリスクも高かったことでしょう。

さまざまな異常により、
出生早期に亡くなる子が多かったはずです。

また、産後間もない女性も、
産じょく熱や子宮収縮不全による大出血など
何が起こるかわかりません。

まさに命がけ。
お産とはそういうものなのです。

今でこそ、起こってくる問題の数々は
医学的に立証されていて、原因も対処法も
そしてときには予測や予防もできる時代ですが

昔でいうところの「魔物」とは
母子に起こり得る問題の数々を
うまく表現した言葉だったのではないでしょうか。

わたしがびっくりしたのは、そのあとです!

そんな過酷な環境で、
産後の女性はなんと
1週間も座ったままで過ごさなければならなかったそうです。

産後すぐですよ?!
今だったら考えられないことです。

「産後の女性を眠らせない」なんてただの拷問やん!
と思ってしまいますが、
当時は、『魔物』から逃れるために
横になってはならないし、
眠ってはいけないと信じられていたようです。

「横になって眠ったら(隙を見せたら)魔物に食われる」

出血による血圧が低下、
ショック症状を起こし意識混濁になったら
そのまま死んでしまいますよね。

だから、不安定な産後1週間は
座ったまま、眠らないで耐えなければならなかったのですね・・・。
本当に壮絶です。

座ったら余計に出血が止まらなくなるし、
眠らないと疲労回復もできないし、
かえって魔物の餌食になるんじゃないかと
思うのですが、

当時、産婆さえ産科知識のなかった時代には
祈祷とかまじないとか、
神頼み的な方法に頼るしか
術がなかったのかもしれません。

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