昔のお産は過酷でした。そこから見えてきたこと
助産師の仕事は
幸せな出産の介助ばかりではありません。
流産の処置や人工妊娠中絶の手術介助も
業務のひとつです。
昔の助産師・・・
江戸時代の産婆も同様でした。
彼女たちは、
生まれてくる赤ちゃんをただ取り上げるだけではなく、
堕胎に関わることも役目だったそうです。
避妊の正確な知識も、避妊具もない時代
殺精子目的?
梅干しや酢を膣に挿入したり
避妊目的?
漢方薬、鍼灸などが用いられました。
なかには女性の身体に害を及ぼす
劣悪なものもありました。
どれもこれも医学的根拠などあるはずもありません。
迷信やおまじないのような非科学的な方法に
避妊効果はありませんでした。
それでも当時の女性たちにとっては
身を守るために
藁をもすがる気持ちだったことでしょう。
上流階級には
水牛の角、カメの甲羅、動物の革などで作った
ペニスサック(今でいうコンドーム)や
和紙を丸めて膣に詰める方法
(今でいうペッサリー)が使われていたようですが
これらは高価すぎて
一般の民に手を出せる代物ではなかったようです。
ちなみに国産コンドームが誕生したのは
明治42年のことです。
現在のコンドームの基礎となる
ラテックス製コンドームが誕生したのは
昭和9年でした。
望まない妊娠を避けるため
いろいろな対策が考えられ実践されていましたが
結局、江戸時代の受胎調節の確実な手段は
『堕胎』しかなかったそうです。
水風呂に入って極端に身体を冷やしてみたり
おなかを強く圧迫したり、
子宮収縮作用のあるほおずきの根や茎を
煎じて飲んだりしました。
そして、堕胎専門の医師(?)が
現代に近い・・・といっても、かなり強引に
子宮内に何らかの器具を挿入して
中絶手術のような処置を行ったそうです。
命がけの処置だったことは安易に想像できますね・・・。
ですが、抗生剤のない時代に
子宮内感染のリスクが高まる堕胎より、
出産後に生まれた赤ちゃんを意図的に間引くほうが
家計にとっても母体にとっても安全でした。
当時、赤ちゃんはまだ人間とは認められず
神からの預かりものとして扱われました。
預かったけど、養育できないと判断されたときには
容赦なく産婆が間引いて
神に「子返し」をしたそうです。
生まれてすぐの母子は魔物に狙われると信じられ
産婆は、小さな命を魔物から守るのか
それとも神に返すのかの決定権さえも持っている、
呪術的な祈祷者としての役割もありました。
現代の助産師とはまったく違った価値観、
違った立ち位置でいのちを認識し、
お産に立ち会っていたのですね・・・。
江戸時代には、
出産できても10~15%が死産でした。
1歳までに亡くなる子も多く、
5歳までに10人中2~3人が亡くなりました。
生きるか生きられないか
運命の分かれ目
ギリギリの世界をさまよっている新生児には
人としての尊厳や権利は
認められていなかったのかもしれません。
当時は天災飢饉、政治的貧困がたびたび起こりました。
堕胎や間引きの慣習は、
飢えをしのぐため
生きていく上でどうしても必要なことだったのです。
それを問題視した江戸幕府は
産婆取り締まり規則を布告しました。
生まれた命を育てることができるように
養育費を与えるなどの政策を嵩じ
堕胎、間引きを禁止しました。
明治時代になると産婆は教育制度の中で
資格を与えられるようになりました。
産科知識を持った有資格の産婆出現以降、
お産を汚れと考えて座ったまま出産させ、
そのまま1週間眠ることも許されない
女性への粗末な扱いは改革されていきました。
産婦への配慮、産後の安静安楽の必要性に
気づいた産婆たちは
仰臥位分娩を推し、立ち上がりました!
今の時代には
フリースタイル分娩、アクティブバース、
『自由な体勢で自分らしく産むお産』
が華々しく語られます。
分娩台の上で仰向けでの出産は
医療者側の都合であり、
足を固定されたり、点滴や分娩監視装置で
産婦の行動を阻害する医療介入は
産婦を一人の女性として、人として
尊重しているとは言えず、
人格を無視した行為であると批判されたりもします。
赤ちゃんには生まれてくる力があり、
女性には産む力がある。
だから、なるべく自然に、
自然こそが素晴らしく、
それこそが出産の本来の姿である・・・と。
「昔のお産は自然だった。
昔の古き良き時代を取り戻そうではないか」
分娩時の医療介入の是非については
助産師の専門誌でもよく見かけるテーマです。
助産師は、正常分娩を扱うので
お産を病気とは捉えにくい一面があり、
出産を女性のライフサイクルの
ひとつの登竜門として考え、
彼女たちの子育てが、いかに幸せでいられるかには
出産の成功体験の有無が大きく関わるのだ、と
考えることが多いです。
そういう論文や専門書を読み漁っているうちに
わたし自身、見事に影響されました。
自然なお産に憧れる時期がありました。
念願叶って8人目は助産院で産みました。
自宅分娩も本気で考えましたが、
異常分娩のリスクが頭の隅に浮かび
断念しました。
分娩台ではなく畳のお部屋で
バランスボールにつかまって四つん這いで産みました。
家庭的で、なんだかすごく「わたし」という女性を
尊重してもらっている気がして
嬉しかったのを覚えています。
でもその後、10人目のお産で
産後2時間での大量出血を経験しました。
赤ちゃん誕生までは驚くほどスムーズだったのに
それはいきなり起きました・・・。
突然、床にバシャバシャと水が跳ね返る音が聞こえたんです。
みるみる床が真っ赤になっていきました。
「ヤバイ・・・」と思ったと同時に
意識レベルが低下していき、
ああ、このまま死ぬのかな・・・と思いました。
全部終わってみないと正常かなんてわからない。
いつ何が起こるか予測できないようなことが
起こるのが出産です。
異常分娩は産科医の仕事で、
わたしたち助産師は正常分娩を取り扱う。
病気じゃないから自然が一番!
そんなふうに甘く考えていたことを
反省しました。
いつなんどき、どんなことが起きても対処できるよう
なによりも母子の安全を最優先して
動くことこそが産科医療の骨幹とすべき
重要事項なのだと思い知りました。
いろいろ勉強しているうちに、
現在多くの分娩施設で行われている
分娩台の上での仰向け姿勢は
本当に女性を蔑視した出産だと言えるのだろうか、
と疑問に思うようになりました。
免疫機能が未熟な新生児に、
産婦の便が付着することは絶対に避けなければなりません。
赤ちゃんにとって、便による汚染などがもたらす感染は
命取りになることもあるからです。
産婦の便の処理、
赤ちゃんを細菌感染から守ることは
助産師としての腕の見せ所だとも思います。
助産師が産婦の肛門がよく見えない体勢で分娩介助したとき、
「綺麗なお産」は一気に難しくなると思います。
よくよく考えてみると
わたしが経験した四つん這いの姿勢って、
赤ちゃんが生まれてくる産道より、
肛門が高い位置にくるので
便が出てきたとき、助産師がうまく受け止められなければ
赤ちゃんに付着してしまいます。
あのとき、お産を介助してくれた助産師さん、
どうしてたのかなぁ・・・。
匠な技で素早く処理してくださったのでしょうね。
(くっそぉ、覚えてないけどありがとう〜)
10月1日のブログに書いたように、
「出産は汚れ」という倫理観や、
出生直後の赤ちゃんとママを
魔物が狙っているという占術的思想のもと
座ったままのお産や
座ったまま眠ることなく産後1週間を過ごすという
信じられないしきたりが江戸時代には一般的でした。
医学的知識を持つ産婆たちが
安全なお産と、快適な産後、
重力がかからないように仰向けで安静にさせることで
異常出血などのトラブルから多くのママたちを救った、
という背景が見えてきます。
過酷な座産から
仰向けのお産に改革していったことは
新しい命を生み出す女性を敬い、
決して汚れなどではなく
魔物が襲う、神からの預かりもの
というような非科学的な考え方でもなく
分娩時も産後も
医学に基づいて母子を安全安楽に擁護するという
現代に近い思想への変化の証だったのだろうと思います。
「分娩台は産婦の自由を奪う」
いえ、考え方を変えれば
仰向け分娩は分娩介助がしやすいように
という医療者側の一方的な都合だけじゃなく、
出産する女性と赤ちゃんのことを
最大限に尊重し、大切にした結果で
あったとも考えられます。
わたしの大先輩、
産科知識を持った有資格の産婆たちが
仰向け分娩を勧めていったことで
女性は本当の意味で
自由を与えられ解放されたのかもしれないと
思います。