人工妊娠中絶を『人殺し』って言わないで
私は24歳の看護学生です。
今から10年前、13歳のときに、
当時交際していた人との間に子どもを授かりました。
親には話せず、相手の親御さんが
すべての私の気持ちを汲んで
受け止めてくれました。
相手はずっと
「産んでほしい」「産んでほしかった」
と言っていました。
中絶したあと、心が不安定になっていた自分にとっては
すごく重い言葉でした。
それでも笑って学校生活を送っていた私は
いつも一人の時間になっては
苦しみ続けていました。
相談できる相手もおらず、
すべてを一人で抱え込んでいました。
よく「死」を選ばなかったなと思います。
相手は高校生で、幼なじみから交際に発展した
という間柄で、最終的には私が19歳になるまで
約9年間交際が続きました。
そして今は、
この中絶という決断が正しかったと思えている
自分もいますが
出産していたら、
ママになるという選択をしていたら・・・と
後悔ばかりの日々もありました。
親と向き合わなかったことに後悔は少しありますが
親にこのことを話すことは一生ないと思っています。
今では、避妊をしなければ妊娠する
ということは当たり前のように解っていますし、
私の通っていた中・高は女子校だったこともあり
性教育はきちんとされていたほうだと感じています。
ですが、今改めて考えてみると
当時の彼氏は高校生だったのに
あまりにも無知すぎる、知らなさすぎる。
間違った知識ばかりでした。
妊娠したとき、私はまだ中学1年生で
学校の性教育も始まったばかりで
私自身も無知であったと考えさせられます。
また、当時の私は
『相手に嫌われたくない』
その一心で、相手に何も言えませんでした。
それでは自分が
後から苦しみを負うだけだということ・・・
心にも身体にも負担をかけるのは女性なのです。
「嫌なものは嫌」
「ダメなものはダメ」
はっきり言うことが大切なのだということを
考えさせられました。
幼い頃から私の夢は、
子どもに関わって仕事をすることでした。
今でも根本の夢は変わっていませんが
高校を卒業し、保育系の大学に進んだときは
精神的に辛くなってしまい心療内科に通ったことも
ありました。
今も、思い出して苦しくなることがあるけど
出産した赤ちゃんを殺してしまった
などのニュースを目にするたびに
自分の夢は大きくなっていきます。
今の私の夢は、
どこにも相談できない妊婦さんや女性が
助けを求められる場所づくりです。
そして、子どもに関わる看護の何かができたら
いいなと考えています。
そして性教育が
もっと世の中に普及していってほしい。
そんな活動もしていけたらと思っています。
その反面・・・
こんな私がこんな夢を持っていいのだろうか。
ひとつの命を殺してしまった私が
医療の世界に入っていいのだろうか・・・
そんなことを悩んでばかりいます。
今の交際相手は私にはもったいないぐらい
いい人です。
私の過去のこともすべて受け入れてくれて
付き合ってくれていて支えになってくれる
大切な存在です。
いつも悩んでいるときに見透かしたかのように
電話をくれたり側にいてくれます。
もちろん大学を卒業してからと思っていますが
そんな彼と一緒にいると
彼の子どもが欲しいと思ってしまう自分がいます。
また一人の命を殺した私が
何を言っているんだろうと思うこともあります。
そして何より夢を追いかけたい・・・
そんな葛藤もあります。
そもそも私は妊娠できる身体なのか・・・
中絶したとき、医師に
「子どもができにくくなるかも」と言われたことが
頭の中に大きく残ってしまっています。
でも彼が父親になった姿を
想像してしまったりするのです。
13歳のときに私が殺してしまった赤ちゃんのことは
ずっと忘れたことがないし、
忘れたくないと思っています。
こんな私に、ママになってほしいと
来てくれた赤ちゃんであるから、
どんなに小さな命で殺してしまったとはいえ
宝物です。
自分が殺してしまったという事実は消えないし、
その事実は一生
背負って生きていくつもりです。
こんな私がママになりたいということを
望んでもいいのでしょうか。
夢を追ってもいいのでしょうか。
幸せになることを望んでもいいのでしょうか。
↑↑↑
中絶は
「小さな命を殺すこと」
なのでしょうか・・・
「人間とは、命とは何か」
という、とても難しい命題が根本にありますが
曖昧で、はっきりと定義できません。
妊娠初期の胎芽だって人間だ!
と思う人もいるし
まだ人間とは言えない
と思う人もいます。
どちらにも哲理があるので
結局は個人の認識次第なのでしょう。
個人的には
胎芽は命だと思っています。
だとしても「中絶は人殺しとは違う」と思っています。
賛否両論あると思いますがわたしは
中絶とは女性を守るための緊急措置であり、
最終手段だと思っています。
中絶がいかに悪かを説くよりも、
避妊の方法や、
相手の心と身体を思い遣ること、
アフターピル(緊急避妊薬)の存在を
教えるほうがずっと建設的だと考えています。
妊娠しないようにどうするか。
失敗したらどうするか。
そこが大事なのであって。
女の子たちを責め立てるような話はしたくないし、
中絶を人殺しだなんて教えたら
トイレで一人で出産したり、
赤ちゃんの置き去り事件というような
あってはならない悲しいことにつながる可能性も
否定できないと思います。
わたしのところへ毎日届くたくさんの手紙、
助産院ばぶばぶへ来るママたちが
「赤ちゃんを殺してしまった」
という言い方をされるのが
ずっとモヤモヤ心にひっかかっています。
いのちの授業では、
男女の生理的現象、脳の違い、
受精、妊娠のメカニズムといった
性科学的な側面と同時に
相手の心を思いやることの意味や
欲求のコントロール、
本当に優しい彼氏ってなんだろう
というような、倫理的、道徳的な側面まで
幅広いベクトルから話を進めます。
避妊、予期せぬ妊娠、人工妊娠中絶においては
具体的な事例をふまえて、
かなり踏み込んだリアルな手術の様子、
またそのときの目先の話だけじゃなく
中絶後の、その子の人生がどうなっていったか
長いスパンでのストーリーを丁寧に話します。
いのちの授業に行くときは
事前に、生徒の中に妊娠などのケースが
ないかどうか先生に確認しますが、
13歳で思わぬ妊娠をしてしまった彼女のように
誰にも話さないまま、学校も親も知らないまま
辛い経験を封じ込めている子もいるのです。
きっと、その子は
ずっとたった一人でそんな自分と戦い続けているはず。
自分は夢を追っちゃいけない
自分は幸せになる資格はない
そんなふうに思い込んで、
今この瞬間も苦しんでいるかもしれないのです。
そんな子がもし、
「中絶は命を殺すこと」なんて聞かされたら
どんな気持ちになるでしょうか・・・。
だからわたしは、
中絶が人殺しだなんて、口が裂けても言えません・・・。
体も心もボロボロになる中絶はもちろん、
ないに越したことはないです。
だけど、どんなに意識して避妊しても
妊娠してしまうことはあります。
コンドームの成功率の低さは、
どの学校でも必ず話しますが
成熟した大人であっても
確実な計画に基づいた妊娠が
いったい何割あることか・・・。
もちろん、
絶対妊娠しない方法はひとつだけあります。
それは『セックスしないこと』
でも、純潔教育をしたところで
中絶率は下がるどころか上がるんですよ。
彼氏、彼女がいるティーンエイジャーに
『セックスをするな』という指導は、非現実的だと
わたしは思っています。
なので、セックスする前提で
避妊のことや妊娠してしまった場合の
大きな大きな代償、そして対処法について
細かく話すようにして
望まない妊娠をひとつでも避けることができるよう
細々と活動しているのです。
机上の空論、教科書通り
融通の効かないガチガチの理論は
人を救うのではなく
「追い込むこと」につながります。
多くの産婦人科では人工妊娠中絶を
取り扱っていますが
それを好き好んでやりたい医師はいないと
思います。
中絶でお金儲け?
いえ、望まない妊娠をした女性たちを助けたい・・・
ただそれだけの気持ちに
突き動かされての使命感だと思います。
また、中絶があるから安心して
妊娠したという女性もいません。
そもそも妊娠するとは思っていなかったんですよね・・・。
そこに、性に対しての隙があります。
喜んで中絶を受ける女性もいません。
誰にとっても中絶の決定は、とても重いものです。
みんなそれぞれ、それぞれの立場で
背景も環境も異なる人たちが
助産院ばぶばぶにはやってきます。
この人にとって
どうするのが救われるのか・・・
試行錯誤の連続で答えが見つからないまま
ここまで来ました。
助産師として、
排他的な原則論だけで
彼女たちと向かい合うことはできません。
妊娠してしまったということが、
どれだけ重いものなのか、
おそらく頭だけで考えている人にはわからないでしょう。
事実の重みの中で
その人が中絶という選択をしたなら
その苦しみに寄り添い、尊重したいと思います。
その事実の重さに
自ら命を絶とうとする人もいます。
そもそもわたしたち人間は
他の命をいただいて生きていますよね。
自分に関わる命を中絶することは悪で、
自分に直接関わらない命をいただくことは
悪ではないと?
生きることそのものが、
それだけで罪深いことだったり
するんですよ。
それでもわたしたちは、罪を重ねながらも
強く生きていくのです。
過去の中絶経験と、
あなたが幸せになる権利、
夢を追う権利を
ごちゃ混ぜにして考えないで欲しい。
つらい立場になる女性が少しでも減るように
望まない妊娠を防ぎつつ、
望まない妊娠をしてしまった子を救いたい。
その後の人生が
笑顔でいっぱいになりますように・・・。
わたしに少しだけ、
その手助けができたらと思っています。