障害児とママは「かわいそう」なの?
障害を持って生まれてきた
赤ちゃんのママから
「わたしは〝かわいそう〟と
思われるのが嫌いです。
娘のことを話すと
小さいのに手術なんてかわいそうに
と言われることが多いです。
娘はまだ何もわからないながらも
一生懸命がんばっているのだから
がんばってるね、と言ってよ!
と思ってしまいます。
わたし自身も
かわいそうと思われるのがいやで
元気に娘の病気のことを
話すようにしています。
私、変でしょうか?」
という質問をいただきました。
「かわいそう」とは
辞書にはこう書いてあります。
1、弱い立場や
逆境にあるものに対して同情し、
なんとか救ってやりたいと思うさま
2、同情や哀れを誘うさま
ちなみに
「かわいそう」って言葉はもともと
「かわいい」に「そう」をつけて
推量の形にしたのがはじまりだそうです。
負のオーラをまとう
「かわいそう」と
光のオーラをまとう
「かわいい」は
真逆のようですが
実は類似の感情を表現する
言葉でもあるのです!
最近はなんでも
「かわいい」って言いますよね。
絶対かわいくないおじさんとか笑
車とか建物やおばけまで
「かわいい〜♡」と。
さまざまな場面で
さまざまな状況の人を
さまざまに救う
「かわいい」という言葉は
もともとは、不憫で気の毒で哀れで
もう見ていられないほど
どうしようもなくかわいくて
愛おしくて・・・という
ニュアンスがあるんです。
つまり、「かわいそう」は
単純に、哀れむ、同情する
という上から目線の見下すような
冷めた気持ちを表すよりも
ある種の痛みを感じるぐらいに
かわいい、愛しいと思う気持ちを
表現する温かい言葉でもあると
思います。
例えば、わたしは
12人の子供たちをとても大切に想う
気持ちがあって、
だからこそ守りたくなります。
自分より弱い者に対して
守ってあげたい、
なんとか力になってあげたい、という
保護的な気持ち。
かばってあげたくなる部分が
見つかったときに
「かわいそう」も生まれている
ように思います。
わたしには
発達障害を抱える娘がいます。
彼女の特性からもたらされる
生きづらさ、葛藤、悩み・・・
そんな自分と向き合い
一生懸命にがんばっている
彼女を見ていると
シンプルに
「かわいそう」という感情が
生まれてきます。
「かわいそう」と想うからこそ
寄り添いたいのです。
力になりたいのです。
もし、娘に対して
「かわいそう」の感情が湧いてこなければ
わたしは彼女の一番の理解者でありたいとも
思わないでしょうし、
支えたい気持ちさえも
湧いてこないでしょうね。
つまり、わたしの持つ
「かわいそう」という感情には
「かわいい」「愛しい」の意味を
秘めていて
痛々しく感じるほど
彼女を想う気持ちが根底です。
こういう複雑な感情が
理解できるようになるのは
年齢的にも精神的にも
かなり成長してからなのかもしれません。
昔はわたしも
他人から「かわいそう」と言われることに
過剰反応して
ギャンギャン吠えていたので
モヤっとする気持ちもよくわかります。
相手への好意を
「好き」「かわいい」などの
直球で単純な言葉ではなく
複雑なニュアンスを含んだ
「かわいそう」という高度な言葉で
表現されたときに
モヤっとしなくなったわたしは
その本当の
意味を実感できるほど大人になった
ということでしょうか。笑
それにしても、
たったひとつの言葉の中に
これほどの要素が詰まっているなんて!
こんなにも豊かに言葉に
感情表現をこめるのは
日本語ならではの魅力です。
日本語には、
色で例えると中間色みたいな
言葉がたくさんあって
そこから日本人の感じ方
考え方みたいなものが見えてきます。
「かわいそう」は
まさにそんな日本の
素晴らしい文化を表す言葉だと思うので
その言葉の真の意味に
想像を膨らませて
躍起にならず、
「想ってくれてありがとう」って
受け止められるようになると
カッコいいなと思います。
【本日の動画♪】