母乳育児って
あるママが、わたしに言いました。
「世間では、母乳育児、母乳育児と
言われているじゃないですか。
わたしは母乳でうまく育てられていないから
“育児”の資格のないママだって
ことですよね」
なにげない彼女の言葉に
ハッとさせられました・・・!
頭を打ちました。
母乳育児という言葉
今まで深く考えることもなく
軽はずみに使ってしまっていました。
「母乳育児」って。
当たり前のように使ってる言葉だけど
そもそも「母乳育児」とは、
なにをもって「母乳育児」なんだろうか?
改めて考えてみるととくに明確な定義もなくて
この言葉を使うことで
何を表現することになるのか?
考えれば考えるほど
ハテナ?マークが
頭の中を飛び交いました。
考えすぎ
深読みしすぎ
屁理屈だ!と言われるかもしれないけど、
赤ちゃんに母乳を飲ませてあげたくて
必死になっている、このママのように
「母乳育児」という響きが
母乳で育てられなければ「ダメママ」みたいな
感覚に陥ることはあるかもしれません。
コトバの持つ、恐ろしい力が
そこに潜んでいると思いました。
人の心の弱みにつけこむ
マインドコンロールにも匹敵するような力・・・。
「母乳育児」という言葉には、
「母乳で育ててこそ、育児」
そんなニュアンスが隠れていて、
育児の価値観だったり
評価対象が変な錯覚起こして
しまいそう。
がんばっているママたちに
暗黙のプレッシャーをかける
軽率な言葉なのだと気づきました。
母乳育児とか
ミルク育児とか。
栄養法で「育児」をひとくくりに
しちゃいけないのです。
だって、赤ちゃんの栄養方法は
“育児”の一項目にすぎませんよね。
ミルクをちょっとでも補足していれば
「母乳育児」じゃないのか?
完全母乳であることが
「母乳育児」なのか?
それとも
1日1回でも吸わせているのなら
「母乳育児」なのか?
一滴でも母乳を飲めているのなら
直母じゃなくても搾乳でも
「母乳育児」に相当するのか?
「母乳育児」こそが
育児の目指す方向であり、ゴールなのか?
実は、わたしが助産師になった20年前には
「母乳育児」という言葉は
使われていませんでした。
当時の教科書や
周産期医療の雑誌などを確認してみると
今でいう「母乳育児」は「母乳栄養」という言葉で
表現されています。
「母乳栄養に成功するための第一の鍵は、
新生児が母親の乳頭をくわえて、
きちんと吸収ができることである。
産褥初期の母子は、必ずしも何の準備も援助もなしに、
容易に母乳栄養が確立するとは限らない。
母親となった喜びを損なうことなく、
円滑に授乳ができるよう援助することが大切である」
昔、助産師学校では
そう教わりました。
じゃあ、何が「母乳栄養の確立」なのか?
教科書では明示されていないんですよね。
そして、今日にいたるまで
周産期看護の中では
「母乳栄養の確立」という言葉が、
いったい何を指しているのか
という明確な定義もないまま使われているのです。
赤ちゃんにとっての栄養は、
母乳が最善であることはいうまでもありません。
でも、与える栄養自体は赤ちゃんの成長が目的なのであって、
「母乳栄養の確立」が評価されるのは
なんとなくおかしいような気がします。
もうめっちゃ古い教科書ですが、
わたしが持っている
「小児科学・新生児学テキスト」(診断と治療社、2000年)には
「母乳栄養」という言葉が使われています。
ここでは、新生児や乳児の成長・発達にあわせた
栄養方法の視点から書かれています。
母乳のメリットとともに、
母乳のデメリットも明確にされていて、
あくまでも赤ちゃんの最適な発育が
目的だという内容になっています。
2000年代後半になると
「母乳育児」という言葉が使われた
周産期関連のテキストを見かけるようになりました。
そして最近では
「完全母乳」という表現も
多くなっています。
ばぶばぶは、
「母乳育児支援をしています!」
と謳ってきました。
でも、これからは
デリケートなママたちのガラスのような心を
考慮して
「母乳栄養を支援しています!」
と、表現するようにしようかな?
本当に本当に細かい部分まで、
助産師が発する言葉や単語には
ママたちの心を傷つけたり勇気づけたり
ものすごい影響力を持っていることを忘れず
もっともっと
ママに寄り添っていける助産師に
成長したいと思った一件でした。