いのちの授業(関西大学初等部2年生)
昨春
不妊治療の末にやっと授かった赤ちゃんを
妊娠21wで死産されたママがいらっしゃいました。
辛い経験を乗り越え、
彼女は昨年末、再び新たないのちを宿しました。
今度こそ!
その胸にかわいい赤ちゃんを抱ける!!
年明け、無事に心拍確認もでき、
ほっとしたのもつかの間、
昨日、
「赤ちゃんの心臓が止まっていました。
流産のようです。
明日、処置をしてきます」
という悲しい連絡がありました・・・。
今日は彼女の手術日です。
そしてわたしは
関西大学初等部2年生
いのちの授業に行ってきました。
関西大学への道中、
数時間後に流産手術を控えた彼女と
連絡を取り合い、
無事にすべてが進みますように。。。
彼女の心と身体が
少しでも癒されますように・・・
祈りながら、
子どもたちに
おなかの中で止まってしまった彼女の赤ちゃんのこと。
生まれたくても生まれることのできない
いのちがあるのだということ。
あなたたちが、今ここに生きていることが
どんなに尊く素敵なことなのか。
「しっかりと伝えてくるから!」
と固く約束したのでした。
彼女の手術と、わたしのいのちの授業は、
リアルタイム、同時進行となりました。
わたしのもとには毎日のように
「生まれました!」の
嬉しい報告が届きます。
何度聞いても本当に嬉しく心が弾みます。
だけど、おめでたが多くなればそれに比例して、
育つことのできなかったいのちが
現れることも避けられない事実です。
流産はなんと全妊娠の11%もの確率で起きます。
臨床の場にいると、毎日2〜3件は必ず
流産による子宮内掻爬術が行われるほど、
わたしたちの身近に起こり得ることです。
何度経験しても
流産は切なくて苦しくて悲しい。
「もうすでに子どもがいるんだから
いいじゃない?」
「またすぐ妊娠できるよ!」
励ましてくれる人もいるけど
そういう問題じゃないんですよね。
経験者の心はガラスのようです。
11%という数字はあくまでも
妊娠していることを自覚、診断できるようになる
妊娠5w以降での確率なので、
もっと早期の、本人も気付かない間に起こる流産もいれれば、
全受精卵の50%以上の高率で
胚は自然淘汰されているそうです。
どうしてこんなに高率に
流産が起きてしまうのでしょう。
人間は、排卵期になると自動的に排卵する
『自動排卵動物』だからです。
性行動も、性周期とは全く関連なく行われます。
だからこそ、パートナーとの精神的な結びつきなど、
人間らしい高等な社会を築けるのですよね。
だけど『生殖』の面のみから見ると、
人間の性行動はミスタイミングになりやすい
非効率な繁殖法なんです。
実際、排卵日が自分でわかるという女性は、
ほんのわずかですよね。
排卵日に必ず腰やおなかが痛くなる人や
出血する人、頭痛がする人、
半端なくイライラが押し寄せてくる人
そういう女性もいるにはいるけど、
大半は、いつ排卵するかわからないことが
多いと思います。
赤ちゃんが欲しいとき、よくわからない排卵日を
予測の世界だけで算出して
タイミングを合わせてみるのって、
どう考えても非効率的です。
タイミングがズレやすいということが
意味するのは、
流産する確率が高い、ということに
つながるのだそうです。
授かったいのちが、
育つのか育たないのか。
こればかりは、いくら医学が発達したとしても
わたしたち人間の力では
どうすることもできません。
自然のなりゆきに身をまかせ、
現実を受け止めるしか手立てはないのです。
しかたがないってわかっていても・・・
流産はやっぱり
悲しい・・・。
彼女のおなかに宿っていることがわかって
たったの3週間の
あまりにも短すぎるいのちだったけど、
それでも、この世界に舞い降りてくれたことに
意味があったはずです。
彼女に気の利いた言葉も
かけてあげられませんでしたが、
わたしにできること
それは、
「いのちの授業」で
彼女のおなかに確かに宿っていた
小さな小さないのちの話を
子どもたちに伝えることだと
と思いました。
これから未来を担う子どもたち。
素晴らしいいのちを持って
生きている子どもたちに、
何か大切なことが
ジーンと伝わったのなら、
たった3週間のいのちは、
大きな大きな使命を果たしてくれた
素晴らしいいのちだった。
と、思います!!
わたしの、生後3ヶ月の11人目の赤ちゃんを
だっこする子どもたち。
いのちって、あったかい。
いのちって、ずっしり重い。
いのちって、一生懸命。
いのちって、素敵!
感じてくれたと思います。
でも、ずっと続くことはなくて
いつか終わってしまう、いのちだから。
1日1日を大切に
今、ここに生きていることに感謝しなくちゃ!
今月は、あと4校
いのちの授業を控えています。
天国に帰られた、小さないのちさん、
聞いておられますか?
あなたが確かに存在していたことを
わたしはいろんな学校で
たくさんの人たちに
しっかり伝えてきますね!!
今回ご依頼いただきました
関西大学 初等部 養護教諭
藤井みずほ さまからいただいた
お便りをご紹介します。
昨日は本当にありがとうございました。
憧音ちゃんの登場も大変ありがたかったです。
帰宅の路につきながらも、
いのちの授業のことが反芻されていました。
こころに残るお話は、消え失せること無く
心の奥深いところに留まり、
辛いこ と苦しいことがあったときの
支えになると確信しました。
そして昨日手術に向き合ったママの話。
心にジーンときました。
ひさこさんの全力で向き合っているいのち。
その子のいのち。ママのいのち パ パのいのち
全ての方にありがとうと言いたいです。
本当に本当に感謝です。
なにより、少しやんちゃな児童が長い時間集中して
聞いていたことが、とてもあ りがたかったです。
本物にふれる本物の話に触れる授業は、
やはり素敵なことです。
いのちは眼には見えません。
いのちは無限ではありません。
でも、受け継がれていく多くの
いのちの繋がりが、 人生の見えない糧になると思います。
生と死 隣り合わせですが、死を見つめる事を、
教育現場は避けようとしているところがあると思います。
しかし死をみつめる教育は絶対必要です。
ふとしたときに、この授業のことが あたまをよぎり、
死を踏みとどまり、 前を見つめて歩めるきっかけになると。
信じています。
教育現場では、見守って、 多くの友だちと触れ合い
その自然治癒力を大切に しています。
2年生の感想で、来年も来てくださいと
多くの児童が書いてました。
来年度は、2年生、3年生でいのちの授業が
出来たらいいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。