万燈供養
和歌山県橋本市にある、光三宝荒神社。
高野山のふもと、紀ノ川のほとりにある由緒ある神社です。
昔は、火種が絶えて消えてしまうと、
再び火を起こすことは大変な仕事でした。
また「かまど」の火が消えるということは、
その家庭の生活が破滅したことを意味しました。
そのため「かまど」の火を守る神として
『荒神』をおまつりし、
「かまど」の火を大切にしたのだそうで
荒神は荒れる火を鎮める神様と言われています。
そんな日本三大荒神である古社の管主さんの奥さまは、
今どき珍しい4人のお子さまのママです。
自然大好き!
運動大好き!
子だくさん!
空手道に、フルマラソンに、家庭菜園に・・・
一度ハマると、いちいちストイック!←要は変人ですね(笑)
そんな彼女は橋本市から、ばぶばぶのある阿倍野まで
月に1回必ず、遠路はるばるおっぱいメンテナンスに来てくださいます。
わたしと彼女は価値観や人生観がどことなく似ていて
おっぱいケアもそこそこに、「そうそう!わかるわかる!」
たわいもない会話にいつも華が咲きます。
先日、
「HISAKOさんに見せたいものがある」
と、見せてくれた写真がありました。
参拝者の氏名と、「無病息災」「平穏無事」「家庭円満」
などのお願いごとが朱の筆字で記された数々の万燈。
僧侶による法要のあと、万燈・ろうそくに火が灯され
荒神様(火の神様)明神様(日本古来の神々たち)に献灯され
各々の諸願成就を願う神社のお祭り
『万燈供養』の写真でした。
暗闇に浮かび上がる仏前のたくさんの燈火は、厳かで幻想的。
写真で見ても、息を飲むような神聖な雰囲気が
伝わってきました。
わたしは小さいころ、宗教には無縁の家庭で育ってきました。
無知とは愚かなりで、
『宗教=偏った思考』
『宗教=怪しいもの』というような
否定的な思いこみがありました。
でも、大人になってヨガを学んだり、
人生経験を積むごと、歳をとるにつれ
『わたしたちは決して一人で生きているのではなく
他のすべての者たちとの相関のもとに生きている。
人も動物も自然も物も、そのすべてに感謝』
世界中の多くの宗教の軸となる教えは
すべて共通する『感謝の心』だということに気づきました。
しっかりと自立して生きていく人とは
身に受ける恩恵にきちんと気づき、感謝の気持ちを持って
生きている人のことだと思います。
わたしが今ここに生きているのは多くの人たちのおかげ。
大勢の人に支えられ、多くの縁によって生かされています。
そんな事実に目を向けることができるようになると
「今」という時間を前向きに生きる強さが湧いてきます。
自分の考えばかりを主張したり、他人の粗探しをしたり、
グチばかり言ってると、結局は悩みはどんどん大きくなり、
幸せになるどころか、逆に孤独になっていきます。
些細なことに右往左往することなく
しっかりと足を地につけて
笑顔で生きていかないといけないなぁ・・・
見せてもらった万燈供養の写真に
そんなことを思いました。
そのとき
ん???
ずらりと並ぶ、献灯された万燈の中の1つに
目が留まりました。
万燈の四角い障子紙に、とても丁寧で力強い朱文字で
『助産院ばぶばぶ ママの笑顔』
『助産師HISAKO 身体健全』
って、書いてあるではないですか!!
普通は『商売繁盛』とか書くのでしょうけど
ばぶばぶは、ちょっと違うなと思ったそうです。
「HISAKOさんが一番大切にしている『ママの笑顔』を
書いてみました!」
と、彼女は笑いました。
ばぶばぶの真髄を愛してくれて、
わたしの心を理解してくれる彼女の気持ちが
言葉にならないぐらい嬉しかったです。
万燈を供養する精神は、
まさにこの身に受けたる恩恵に想いをはせ、
すべてのものたちに感謝を
捧げることにあるのだと思います。
人生には、よいことや悪いこと、楽しいこと、悲しいこと
いろんなことがあります。
生きるということは、平坦な道を歩むことだけではありませんよね。
どんな人でも同じように、
長い人生には何度か大きな山がそびえ立ちます。
山がなければ行く道は楽かもしれないし、
避けて通れたらラッキーだけど、
無理して避けようとするより、
目の前の山をどう乗り越えようかと一生懸命に考え、
挑んでいく過程にこそ、
幸せがあるのかもしれません。
このように、まじめに努力して、
人生の幸せを見出そうとする姿勢は立派です。
でもたぶん、本当の幸せを見つけるためには
ただ自分が努力するだけでは足りないんですよね。
それには、自分という枠から出た、
広い視野が必要だと思います。
大勢の人の、いろいろな形の恩恵の中で
自分が生かされていることへの感謝と報恩。
そして自分を支えてくれる大きなものへの信頼があってこそ
本当の幸せはやってくるのでしょう。
彼女の壮大なパノラマのような視野と、
愛が詰まった、ありがたく崇高なばぶばぶ万燈に
目先の小さなことばかりに一喜一憂して
悩んだり落ち込んだりしている自分が
恥ずかしくなりました。
彼女の目は、清らかで
その眺望は大きな世界をとらえ、
体裁なんか、もろともしません。
いつも穏やかで暖かな表情は
旦那さまである管主さま仕込みの慈愛でしょうか。
新鮮な学びをありがとうございました!
ばぶばぶ万燈の初心を忘れず、
これからもママの笑顔のために精進していきます。