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2018.07.26

結婚しました!!

4年前の夏
わたしは離婚を経験しました。

中学3年生の長女と、
小学校1年生の第6子、年長組の第7子、
年中組の第8子、1歳6ヶ月の第9子、生後3ヶ月の第10子

計6人の子どもたちを母子家庭で育てて行く覚悟、
その重責と不安は、
言葉にはできない巨大な真っ黒な雲となって
わたしに鋭い牙を向けました。

とくに9番目と10番目はまだ赤ちゃんだったので、
実家の支援もない孤独な環境で、
ママがたった1人で6人の子どもを育てることなど
果たして可能なのだろうか・・・
想像さえもできませんでした。

そして〝その日〟を境に、
なんの準備も話し合いもなく
会えなくなった残りの4人の子どもたち。

自分が撒いた種とはいえ、
彼らのことを想っては
胸が張り裂けそうになりました。
だって、わたしは母親だから・・・。

10人の子どもたちは突然・・・本当に突然、
2つに分断されたんです。

小さい子たちは状況を理解できていませんでしたが、
ある程度成長した子たちは、
ただならぬ環境の激変と
ママの全身から醸し出される泥のようなオーラに
呑み込まれていきました。

それでも気丈に生きていかなければいけない
彼らの心を考えると申し訳なくて
かわいそうすぎて、

「すべて自分のせいだ」
「こんな自分は生きる資格がない」
「助産師として子育てを語るなど許されない」
「わが子さえも幸せにできない自分の居場所などない」
「身のほどを知れ」

わたしは自分を責めて責めて責めて
ボロボロになるまで責め続け、
すべてを放棄し
消えてしまおうとしました。

『地獄』っていうのは、
こういうのを言うんだと思いました。
母乳は〝その日〟をもって
ピタリと出なくなりました。

どこまでが現実で、何が夢なのか?
境目さえもわからなくなり、
底辺を這いつくばるような日々でした。

その時期に、
路頭に迷い、腑抜けになって泣いてばかりいたわたしを
全力で支え、勇気づけ、助けてくれた人がいました。
あのとき、その人がいてくれなければ
おそらくわたしは今ここに
存在していないだろうと思います。

それから2年
どうしてもどうしても、その人の赤ちゃんが欲しくて
その想いを抑えることができず
未婚のまま、新しい命を授かりました。
当時、長女は多感な高校2年生でした。

10人のきょうだいとは異なる遺伝子を持つ
11人目の妹。
どんな気持ちだったでしょうね・・・。
この母親は、どこまで自分たち子どもを
傷つけたら気が済むんだ!って
恨んだことでしょう。

母親の離婚と
それに伴う高校受験直前の転校、
きょうだいがバラバラになってしまったこと、
多感な時期に激動の環境の変化を強いられた長女は

目が回るぐらい、いろんなことが重なって、
本当にしんどい数年を送っただろうと思います。

人の道に反するような反抗さえなかったものの、
反抗的態度と暴言の数々…
わたしも人間ができていないので
何度心が折れそうになったことでしょうか。

子どものために
よかれと思ってしたことも、

「余計なことせんでええねん!」

キレられ

出しゃばりすぎたかな、
ならばちょっと引いてみようと
様子を見る方向にシフトチェンジしてみれば

「ママはどうせ
子どものことなんか興味ないんやろ!」

罵られ

「一生懸命子どものためにやってます感
出さんといて。それがウザいねん!」

トゲのある罵声と捨てゼリフ。

ああ、もうどうしたらいいの?
こんなに愛しているのに・・・

あがいても、もがいても
わたしの想いは一向に伝わらず
カラカラと音を立てて空回りするばかりでした。

いっそのこと、
彼女が家から出て行ってくれたら
どんなに楽だろうか・・・と

極限の思考が頭の中を渦巻き
食事が喉を通らないほどに
追い込まれた時期もありました。

彼女も、わたしも
全力で戦った数年間でした。

籍は入っていないけど、
実際には彼と力を合わせて生きてきました。
彼の存在があったから、
わたしはふんばって来れたんです。

お互いを心から信頼し合い、尊敬し合い、
実質上は深い絆で結ばれた同志です。

「いろんな形のカップルがいていい」
「幸せの基準は人それぞれでいい」

頭では理解していても
社会はそう甘くはありません。

姓の異なる彼の立場は
あくまでわたしたち家族の中の「同居人」であり、

まぎれもなく11番目の赤ちゃんのパパであっても
法律上は認められないため「認知届」を
提出しなければならないという現実を
突き付けられました。

社会的な規律に準じた『家族』でない限り、
どこへ行っても不審者扱いを受けます。
子どもたちの親権者でもなければ、保護者でもない。
あなたは他人ですよって、世間の冷たい声が
突き刺さります。

「じゃあ何者やねん?」

再婚しないのは、思春期の子どもたちの
心に寄り添った結果でした。

彼もわたしも、
しかたがないことだと受け入れていましたが、
ホントは辛かったです。
それが事実です。

長女は春から大学生になりました。
長い月日をかけ、
娘と母は、ようやく解け合いました。

上下関係もなく
もはや親子でもなく、

下ネタで2人で大笑いし盛り上がったり
人生観を熱く語り合い、
25歳の年齢差を超えて、支え、支えられる
人同士の関係を築けるまでに
お互いが成長しました。

彼女の気持ちを汲んで
再婚も、メディアへの露出も
すべて断り続けてきた数年でしたが、

今は

「TV、出たらええねん♪」

「ママ、愛してるで~~♪」

「ママはがんばりすぎるから。
しんどくなったら言いや~」

そう言って
広い胸とたくましい腕で←172cm(笑)
ギュッと抱きしめてくれます。

その結果、
現在、ばぶばぶは、NHKの密着取材を
受けている最中です。

思春期の反抗は、
軽い子、重い子、いろいろです。
それは決して、親の育て方に問題があるから
ということではなくて

その子の持って生まれた資質も
大きく関わっていると思います。

もちろん『親の離婚』に代表されるような
人生の大きな節目は
子どもの心に大きな影を落とすことに
間違いはありません。

事実、わたしは今でも
そこに「ごめんね」の懺悔の気持ちを
拭うことができずにいます。

とはいえ、

一見とても幸せそうな環境下にいる子どもでも
程度はどうあれ
家庭、学校など、その子を取り巻く人との関わり方
自分自身との向き合い方、
そして、人生そのものについて
思いをめぐらせ、

日々のさまざまなできごとから
心を傷めたり、傷ついたり、
逆にたくさんの愛を与えられ感謝の気持ちに
心が震えたり

持ち合わせている感情をフルに活動させながら
自立した大人に向かって
『自分』を模索していきます。

苦しいことがあっても
そこで立ち止まることなく
いろんな人に支えられながら
自分のすべきことに果敢に挑み、

凛と前を見据えて這い上がることで
強靭な精神力を養い
ちょっとやそっとのことでは負けない
大人へと成長していく・・・

それが思春期なんですね。

『子どもの反抗期=親が悪い』
『子どもの反抗期=育て方を間違えた』

わたしがそうであったように、
ついママは、そんなふうに短絡的に
「親としての自分の非」を考えてしまうのですが、

ある時期に、子どもから
「ハズしてる」「迷惑」と
ののしられたとしても

子どものために必死に駆けずり回るママの気持ちは、
心の奥底ではちゃんと伝わっているはずです。

何年もかけて、わたしはようやく
それを感じることができるようになりました。

大人も子どもも、
多くのストレスの原因は
他者との関係だったりします。

ママはひとりの人間。
そして、子どもはママの所有物ではなく
ママと同じく1人の独立した人間ですね。

ママの考え方、価値観と子どものそれは、
同じであるはずがないんです。

なのに、
その違いを比較して優劣を判断したり、
間違いだとレッテルを貼ってしまうから
お互いにしんどくなっちゃうんです。

「違う」ことは、ただ「同じではない」
というだけのことで
「優劣」とか「間違い」とは
根本的に次元の違う話です。

大切なのは、

『すべての人はみな違う』
ということ。

夫婦でも子どもでも
みんな違うから刺激的なのです。

人間社会にはルールというのがあって
犯罪など、社会的に罰せられるような
ことは決してしてはいけないですが

人として間違いだという
レッテルを貼られるべき人はいないし、

どんなに子どもに悪態をつかれても、
その言動の中身は彼らの本心ではないという
裏側を読みとって

華麗にスルーできる力量を
持てるようになれると素敵ですね。
(まぁ、なかなかできませんケド(笑))

とはいえ、その反面、
わたしはこうも思うわけです。

子どもとママは、違っていいけれど、
だからって

「違うからしかたがない。もう知らない」

とか言って
現実逃避したり、諦めてしまうのも
アカンのよなぁ・・・と。

この数年
わたしは自分の後ろめたさの感情が邪魔をして
とてもできなかったことなので
偉そうなことは言えた立場じゃないのですが、

子どもからの罵声は真に受けないけれども
「なんでそうなるねん!!」って
ママの心が傷ついたときは
その気持ちを押し殺さずに
体当たりで反論することもしていいんです。

だって、実は
みんな違うと同時に
すべての人にはたくさんの「同じ」が
あると思うから。

息をして、食べて、寝て、
考えて、笑って、怒って、泣いて
幸せでいたいと願って生きています。

違いよりも
同じところを見るようにすれば、
もっと繋がれるはずです。

同じを見れば、娘にも
たくさんの同じがあると気づきます。

人生の基本は、

「みんな同じでみんな違う」

この意味を深く理解して意識することができれば
子育ても、夫婦関係も、
さまざまな人間関係も
ストレスフリーで生きられるのでしょうね。

思春期の娘との戦いを通してわたしは

「同じ」にこだわり過ぎて
「違い」を受容できなくなったり、

「違い」にこだわり過ぎて
「同じ」が見えなくなり
娘との接し方や距離感がわからなくなって
路頭に迷うことになったり、
本当にたくさんの学びを得ました。

「もうええやん。いいかげん結婚したら?
ママ、幸せになりや!」

18歳の言葉にママは号泣しました。

嬉しかった。
本当に本当に嬉しかった・・・
ありがとう、娘。

そんなわけで
ご報告させていただきます。

このたびわたし、
正式に結婚いたしました!!!

『パートナー』は、『夫』になりました。
わたしは堂々と
『妻』と名乗れるようになりました。

結婚って、こんなに嬉しいものなんだ。
初めて知りました(笑)。

まだまだこの先
思春期を迎える子どもたちが
後ろに続々と息を潜めています。

5回目の思春期、
6回目の思春期、

わたしは今よりもっともっと
華麗なスルーができるように
なるでしょうか?!

がんばれ、わたし!
シアワセになれ、わたし!

人生は何が起こるかわかりませんね。
だからこそ、最高なんです!

未来の自分が楽しみです♪

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