アリによる、セミの・・・
夏の間、ばぶばぶのエントランスの緑の小径
木々にはたくさんのセミが留まっています。
毎朝通勤してくると、
けたたましいクマゼミの鳴き声で
さらに暑さが倍増しますが、
その反面、あの小さな身体のどこから
湧き上がってくるのかと思うような
生命力あふれるエネルギーに影響されて
負けてられっかっ!
よっしゃ、今日もいくで!
朝っぱらから勝負を挑む相手では
ないのはわかってますが、
クマゼミのおかげで
仕事前のウォーミングアップ完了です。
ばぶばぶに来られるママたちのなかで
「わたしはセミがめっちゃ好き!
ずっと眺めていられる♡」
という変わり者は、
なかなかいないんじゃないかと思われるので、
小さな赤ちゃん連れだと緑の小径は
早足でほぼ素通りです。
暑いし、ママは早く室内に入りたいですよね〜。
でも、1〜2歳の子連れ来院となると
子どもの好奇心をそっちのけにはできません。
季節ごとに咲き誇る草花に立ち止まり観察したり、
水鉢の中に住んでいるメダカさんの動きを研究したり
植物と共存している虫さんたちを見つけては
灼熱の太陽の下、しゃがみこんでウォッチングタイム。
ばぶばぶの外門を通過してから玄関までの小径の道のりは
手を伸ばせばすぐそこなのに・・・
近いようで遠いです。
ママたち、本当におつかれさまですっ!
8月末の大阪はまだ猛暑日続きで
冷たい飲み物とエアコンは手放せませんが、
ここ1週間ほど、急にセミが姿を見せなくなりました。
先日、2歳の男の子のママが
知りたくもないことを(笑)
教えてくれました。
「緑の小径にセミがちらほら死んでるでしょ?
どのセミにもこんもりと砂が盛られてるのって
何か意味があるんですか?
もしかしてセミの供養とかですか?」
砂が盛られている?
セミの供養?
なんのこっちゃ?
わたしはセミの死骸をわざわざチェックする気など毛頭ないので
(そもそも嫌いやねん!)←すまん、セミ!
普段じっくり小径の地面を凝視しながら
歩くことはありませんが、
小さな子どもの低い視線で
小径の脇をよーく観察しながら歩いてみると
あちこちに力尽きたセミが行き倒れておられました。
その身体は、
すでに他の虫(たぶんアリ?)に分解されて
半分ぐらいの大きさになっています。
小さくなったセミの上に
小皿にきれいな円すい型にして盛られた
厄除け、魔除けの盛り塩みたいな砂が
こんもりと小山になっていました。
ばぶばぶは、
さまざまな『いのちのドラマ』が輝く現場だけど、
さすがに寿命をまっとうしたセミまで
懇切丁寧に葬るほど、
わたしは慈悲深い人間ではありません。
砂を盛った犯人は誰?
なんでこんなことするんだろう?
しかも美しすぎるほどに芸術的な円すい型。
どんな意味があるんだろう?
調べてみました!
やはり犯人はアリらしいです。
アリは、獲物が大きすぎて運べないと判断したとき、
埋めて隠してしまおうとする習性があるそうです。
地面が柔らかければ、獲物の周囲を掘って
砂の中に埋めてしまいますが、
地面が固くて周囲をスムーズに掘れないときには
獲物を取り巻いて砂の小山を作ります。
まずは砂をかけて他の昆虫に見つからないようにして、
あとでゆっくりと分解していくってことらしいです。
天才やん。
「コイツは運べるか運べないか」を、
いかに無駄なく判断し、さらに仲間たちと情報共有し
大量の砂をかける作業を以心伝心に進めるのか・・・
あ、やっぱり天才やん。
本来の盛り塩は、古くから伝わる日本の伝統です。
飲食店などや家の玄関先に置くことで
外部からの邪気を建物の中に寄せ付けない魔除け、
運気向上の効果があるらしいですが、
夏の終わり、
ばぶばぶの玄関先では働き者のアリたちが
神聖なる繁殖活動、
子孫繁栄のためがんばったあと、
潔く死んでいったセミを通じて
盛り塩ならぬ『盛り砂』で
ばぶばぶに出入りするママたちの運気向上と子宝を願い
活躍してくれているんや!
ありがとう、虫たちよ!
・・・と、都合よく、美しく
解釈してみるわたしなのでした。
そうしないと気持ち悪すぎて・・・
無理やねんー!!(本音)