HISAKOブログHISAKOブログ
2019.06.18

HISAKOのお産(第11子)

10人目が4ヶ月のとき、
古民家ばぶばぶが完成しました。

自宅の1階でこじんまり開院していたばぶばぶは
リニューアルしておしゃれに生まれ変わった
古民家に移転しました。

ですが、ばぶばぶ移転と同時に
急転直下、まさかの離婚騒動。

なんの準備もないまま
突然、大海原に放り出され
夢なのか現実なのかもわからなくなるような
苦悩の日々が始まりました。

ある日を境に
4ヶ月、1歳半、3歳、4歳、6歳、13歳、15歳、
7人を養っていかなければならなくなり

人間不信と自信喪失、
惨めで、孤独で、今にも胸が張り裂けそうでした。

子どもたちを守る使命感だけが
ギリギリの自分を
突き動かしていたと思います。

このまま消えてなくなってしまったほうが
いいのかもしれない

よからぬ発想が何度も頭をよぎりました。

あまりにも辛すぎて当時の記憶は
ところどころ途切れていますが

超越したレベルの巨大ストレスにより
ピタッと母乳は出なくなりました。

何がなんでも
子どもたちのために
生き抜かなければいけない。
でも、どうしていいのかもわからない。

廃人のようにボロボロになっていたわたしを支え、
生きる力を与えてくれたのが今の旦那さん
MARKでした。

いつしか、彼はわたしにとって
なくてはならない存在になっていきました。

過去のわたしは、

「赤ちゃんが欲しい」

ですが、あのとき
自分の望むものが根本的に変化していることに
気づきました。

赤ちゃんが欲しいというよりも
彼の遺伝子を残したかった。

41歳で流産を2回繰り返しました。
2回目の流産は、母子手帳交付、出産予定日確定後
の悲しい流産でした。

40歳を超えると妊娠そのものも難しくなってきますが、
卵子の老化がもたらす染色体異常など
流産率は50%とも言われています。
これが40代妊娠の現実なのです。

もう、年齢的に待ったなし。
ぼんやりしている暇はありません。

どうしても諦められなくて
人工授精に挑戦すること2回。

ですが、いずれも授からず・・・

精一杯の努力はしました。

それでもダメなら、それはもう
「もう産むな」っていうメッセージなのかもしれない。

しがみつくことをやめました。
わたしは十分に幸せ。
だから、気持ちを切り替え『今』を大切に生きていこう。

そう思った途端
自然にやってきてくれた11人目の赤ちゃんでした。

越えてきたものが大きすぎたので
身が震えるほどの感動と喜び、
そして同時に
大きい子たちの傷ついた心を想うと

産みたい気持ちと
それを強制的に否定する気持ちが
交錯してぐちゃぐちゃになりました。

必然の奇跡、
こんなわたしをママに選んで
来てくれたかけがえのない宝物、

だけど

離婚して、
きょうだいをバラバラにしてしまい、
子どもたちには信じがたいほどのストレスと悲しみを与えました。

当時
高校生の娘たちとMARKの関係性は
決して良好だとは言えませんでした。

ママの妊娠の報告を受け、
彼女たちの心は揺れました。

多感な娘たちの葛藤はわかっていました。
傷つけることになるのもわかっていました。

悩んで悩んで悩み抜いて
『わたしみたいなひどい母親が幸せになってはいけない』
そう結論づきました。

そして、妊娠継続を諦めることを
決めたのでした。

MARKは

「HISAKOの気持ち、
HISAKOの決定を尊重する」

責めるでもなく、
ただ静かに、そう言ってくれました。

手術台に横たわり
覚悟を決めたそのとき
主治医がわたしに言ったんです。

「ほんまにええんか・・・?」

わたしは反射的に
手術台から飛び降りました。

産みたい
産みたい
助けて、産みたい

まるで子どものように
泣き崩れました。

恥も外聞も捨て、
主治医やまわりのスタッフに
プライベートな話をいっぱい聞いてもらいました。

「どんな環境で授かったいのちであろうとも
生まれてこないほうがいいいのちなどない。

この子は、生まれるべくして授かった子。
この子が生まれることと引き換えに
誰かが不幸になることはない。

いのちの誕生と、まわりの人の幸せとは別問題だ。
赤ちゃんは生まれる理由と使命を持って
自分の意思で宿るんだよ

この子が生まれることで
他の子どもたちへの愛情の度合いが変わるの?
違うでしょ?」

主治医の言葉に
わたしは何があってもこの子を産むと
強く決意したのでした。

「じゃあこの手術同意書、もういらんな。
破って捨てるで」

11人目ととちゃんは、
「ほんまにええんか・・・?」
あの一言のおかげで間一髪、命拾いした子なんです。

それから、
何度も娘たちと話をしました。

ごめん。
でも、誰がなんと言おうとママは産むから。

心を鬼にしての強行突破でした。

娘たちには認めてはもらえなかったけど
きっと彼女たちなりに一生懸命、
ママの気持ちを理解しようと努力してくれたと思います。

世間のウワサの恐ろしさは
離婚騒動のときに身にしみていました。

MARKと婚姻関係にないことや
思春期の子どもたちへの配慮を含め、
妊娠9ヶ月になるまで妊娠を公にしませんでした。

幸い、ばぶばぶで仕事しているときは
基本的に座っているので
おなかが目立ちにくかったようです。
(敏感な人にはバレてましたが)

「私、毎月ばぶばぶに通っていたのに気づかなかった!」

なかには、ブログを読んではじめて
わたしが妊婦だと知ったママも多かったようです。

よかったら読んでみてくださいね。

【妊娠公表したときのブログ】 『もうすぐ生まれます』2016年9月3日
http://bit.ly/2MUkGLI

【出産のブログ】 ▼『生まれましたー』2016年10月7日
http://bit.ly/2MQ7FTc

▼『11人目出産、それは究極のオーガズム』2016年10月8日
http://bit.ly/2MUCRAU

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