HISAKOブログHISAKOブログ
2019.09.17

娘がママになりました!(4)

シリーズ4回目、今日でラストです。
長くてすみません。^^;

長女すずは、もうすぐ20歳です。
わたしが彼女をひとりの『人』として
安心して見守れるようになったのは
つい最近のことです。

中学生以降、
テレビの取材には非協力的だった娘ですが
昨年、NHKの特番のときは
快く取材に応じてくれました。

カメラの前で
彼女はわたしのことをこう表現しました。

「母親としてはクソです(笑)
でも、人間として
こんなにファンキーな人はいないと思う」

彼女の反抗は
思春期からくるイライラだけではなく
いろいろな心理が隠れていたと思います。

娘はずっと、寂しかったんだと思います。
11人きょうだいの長女、
ひとつ上にお兄ちゃんがいますが、
ぶっちゃけ、男子より女子のほうが気の利きます。

彼女はとくにしっかりしていたので
わたしはつい、過剰な期待で
頼りすぎてしまいました。

いろんな人から

「すずちゃんはすごいね」
「すずちゃんはしっかりしてるね」
「すずちゃんはえらいね」

言われてばかり。

今から思えば
もっと甘えたかっただろうに、
周囲の大人の期待に応えないといけない
無意識の圧力をかけていたのかもしれません。

きっと、彼女はもっと
わたしに見てもらいたかったでしょう。
気にかけてもらいたかったでしょう。
守ってほしかったでしょう。
抱きしめて欲しかったでしょう。
たくさん我慢をさせてきてしまいました。

幼少期の「寂しい」の思いが、
思春期に反発を起こしたのではないかと
思っています。

本当はママのことが大好きで
もっとかまってもらいたかっただけなのに
ママに反発することでしか想いを表現できなく
なったのでしょう。

その象徴としての発言が
「母親としてはクソ」だったのかな、と思います^^;

よく、思春期の子がママに反発する理由として
干渉されすぎるための嫌悪感が言われます。

ただうっとおしいだけではなく、

「なんで自分を信じてくれないんだろう」
「なんで子ども扱いするんだろう」

それはつまり、
「自分はママに信頼されていない人間だ」
と解釈し、子どもはママに対して
複雑な気持ちになります。

わたしはわたしなりの愛があり、
子どもたちを最大限に尊重してきました。

ベースには、

自分で考え、自分で決定することのできる子、
子どもには子どもの人生を歩ませるべき、

それが親の役目だと思って
子育てしてきました。

小言は最小限に。
干渉しすぎないように、束縛しすぎないように、
所有物にしないように、理想像に当てはめないように、
それぞれの個性を大切に、
きょうだいは比べないように心がけました。

彼らの気持ちは基本的には否定せず、同意し、
承認欲求を満たすことを意識し、たくさん褒め、
やりたいことをやらせる子育てをしてきました。

放任ではなく、見守るというスタンスのつもりでした。

ですが、子だくさんという背景の中で
わたしがよかれと思って実践してきたことは
娘にとって「寂しい」につながってしまいました。
逆にもっと干渉してほしかったんですよね、きっと。

親にも子にもそれぞれの価値観があるし、
親子だからってなにもかも分かり合えるわけでは
ありません。

彼女が思っている愛の形と
わたしが示す愛の形は微妙に異なっています。

わたしがどんなに愛情を注いでいるつもりでも
彼女はそれをうまく受けとることができるとは限らず・・・。

同じ屋根の下に住んでいる
ママのネガティブな面ばかりがフォーカスされ見えてきて、
それを自分の中でクリアに整理する作業は
さぞかししんどかっただろうと思います。

「母親としてはクソです(笑)
でも、人間として
こんなにファンキーな人はいないと思う」

娘が言った、この言葉を掘り下げて考えてみると
わたしがいかに未熟なママだったかが
わかりますね〜(笑)

でもね。
ママは一生懸命だったんですよ。

出産予定日が2000年1月1日でした。
わたしも元旦生まれ、
めでたい日に生まれた『寿子』です。

娘は予定日の前の日、大晦日に生まれたけど、
『寿』の字をお揃いにしたくて
悩み抜いた末に『寿鈴』(すず)という名前をつけました。

何ヶ月もかけておなかで育て、
命をかけて産んでくれたママの存在・・・

彼女は妊娠して気づいたのだと思います。

「世の中のママは
みんな完璧なんかじゃないけど、
すごい存在なんだ」と。

わたしが妊娠出産のプロだから
ということもあると思うけど、
まさか、あの激しい娘が妊娠した途端に
ここまで良い方向に変わるとは思っていなかったです。

初めての妊娠なのに
マタニティー関係の本も、サイトも一切見ることなく
疑問はすべてわたしに質問してきました。

産前おっぱいケアもしました。
予定日近くには、とうとう
「内診してくれ」と頼まれました(笑)。

「ママに頼んでるんじゃないよ!
助産師のHISAKOさんに頼んでるねん。
勘違いしんといてくれる?!」

あ。そうなのですね。
あなたが頼っているのは
助産師のHISAKOさんなのですね。
失礼いたしました^^;

結局、重度の切迫早産を切り抜け、
出産予定日より11日も超過した妊娠41w4d
分娩所要時間5時間でスポーンと出産。
経産婦かっ!(笑)

しかも、会陰切開、会陰裂傷ナシ。
やっぱり組織そのものが柔軟なんですね。
うらやましい話です。

そして産んだ直後の第一声は

「楽勝やった」

あーやっぱり
若いってスゲーや。(^_^;)

わたしにとっては孫・・・なんですが、
あがいてるわけでも、強がっているわけでもなく
そういう感覚は湧いて来ません。

だって、うちの末っ子2歳児と
娘の産んだ赤ちゃんは
ふつーに、きょうだいの年齢差なんです(笑)

子どもがもうひとり増えたなぁ~
12人目誕生かぁ~ぐらいの軽いノリしかなくて

新しい家族を迎え入れることに
まったく気合いが入らないというか、
新生児は、日常の一コマでしかないです。

仕事でも毎日新生児を見ているので
小さな生まれての赤ちゃんを目の前にしても
感動とか、興奮とかの感情がなく・・・
こんなんでええんかな・・・(^◇^;)

明け方出産だったので、
分娩台の上の娘に母子早期接触(初回授乳)の
介助をしているうちに朝日が昇ってきました。

娘も赤ちゃんも
ちゃんと空気を読んで
(わたしにとって)ベストな時間に生まれてくれました。

完全徹夜でしたが
おかげで仕事に穴を開けることもなく
病院からそのまま
いつも通りにばぶばぶへ出勤することもできました。

12人目が欲しかったんです。
44歳のとき半年間、
本格的な不妊治療にもチャレンジしましたが
叶いませんでした。

ええなぁ~・・・ママも産みたい・・・

つぶやく変人ママに娘は言います。

「本気で欲しいんやったら
卵子提供したろか?
ピッチピチやで、いつでも言って!」

「孫より年下産んでみるのもおもろいやん。
どうせ変人なんやし。
ぜんぜんOKやで、応援する!」

冗談でもそんなふうに言ってもらえて
幸せだなぁと痛感しますが、娘も変人かもしれん・・・
と、思い始めた今日このごろです。

助産師のHISAKOさんからのアドバイスは
すべて素直に耳を傾けてくれるので
本当にありがたいです。

「今ほどママの娘でよかったと
思ったことはない」

産後すぐにそう言ってくれました。

こんな娘、産むんじゃなかった、
とよぎったこともあったけど、全面撤回でーす♡
すずを産んでよかった。
助産師になってよかったぁー^^;

赤ちゃんの名前は、
『梨鈴』(りり)になりました。

うちの女子軍団の名前、
つづけ文字シリーズなんです。

上から
すず→もも→みみ→ここ→なな→のの→とと→りり

数年前、あれだけ激しくぶつかり合った娘なのに
わたしの生き方を全面的に受容してくれたからこそ
シリーズに乗っかった命名を
してくれたのだと思っています。

結果よければすべてヨシです。
あの頃の殴り合いは
無駄ではなかったのかもしれないな(爆)

標準、平均からちょいと外れた人生も
捨てたもんじゃないと思います。

幸せの尺度は自分の中にあり、
世間がどう思おうと、
本人が幸せなら、それがすべてなんですよね!

2018年の年末
妊娠報告を受けたとき
19歳と21歳の決意を認め、
尊重するには少し努力が必要でした。

結果論かもしれませんが、
母乳に振り回され、睡眠不足になりながらも
新生児を抱いて幸せいっぱい、
充実が全身から滲み出している娘を見ていると

彼女の選択、
そしてわたしの決定は
大正解だったんだと感じています。

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