診断名をつけられること(1)〜発達障害〜
わたしは子だくさんです。
同じママから生まれて、同じママが育てても
子どもたち全員が
まったく異なる個性を主張しながら育っています。
多彩な個性の持ち主である
ひとりひとりの子どもたち。
いつも周囲に合わせる八方美人もいれば
なにがあろうとも自分の意見を
押し通そうとする子もいます。
ピーマンが「ちょっと苦手」な子もいれば
「嫌いすぎて絶対ムリ!」な子、
「意外と好き!美味しいやん〜♪」な子、
ある特性がとても濃い子もいれば
とても薄い子もいます。
同じ子でも、そのときの気分や状況に応じて
「今日はピーマン絶対食べない!」
「今日は一口ならがんばってみる」
個性の色合いが、濃く見える時もあれば
あまり目立たないときもあります。
わが家の5年生、ななちゃんは
月に1回、児童精神科に通院しています。
3年生のときに受けた心理検査(発達検査)では、
得意なことと不得意なことのデコボコが激しいという
特性の傾向が示される結果が出ましたが、
具体的な疾患名、確定診断はされませんでした。
正式な診断名を告げられないまま
月日は流れ・・・
友達とうまくコミュニケーションがとれず
学校では浮いた存在。
感情のコントロールがきかず、
ふとしたクラスの友達の言動ニュアンスを読みとれず。
相手はそんなつもりで言ったわけじゃなくても
「自分のことを全否定された」と感じてしまい
自分自身を守るための防御手段として大爆発。
暴れ倒す、物を破壊する、友達に手を出す、
学校から逃亡するなど問題行動頻発でした。
興味のない授業には集中できません。
読書をしたり、フラッと教室から出て行ったり、
好き勝手なことをしながら、できる範囲で授業に参加。
本音の建前を使い分けたり、妥協したり、
『周囲にうまく合わせておこう』が、極端に苦手。
頭では、今自分のやるべきことを理解していても
気分が乗らないとき、気分が乗らない場所では
どうしてもできません。
挙げるとキリがないほど出てくる
ぶっ飛んだ行動の数々は、
単なる「個性」という枠からははみ出てしまっています。
月イチの診察では、
ぶっ飛んだ行動に対する捉え方、関わり方、支援の仕方
という内容が主です。
医師との会話のなかに
診断名こそ出てこないけど
ASD(自閉症スペクトラム)前提で話が進んでいくのは
ごまかしようのない事実。
はっきり言われなくても
ASDで間違いないだろうに、
病院で診断名を明確にしてくれないのが
ずっとモヤモヤひっかかっていたんです。
「先生、ななはASDでいいんですよね?」
昨年の夏ごろ、とうとうこちらから、
確信を突いた疑問を投げかけました。
「えーと・・・うん、まぁそうだね。
診断は?と言われれば・・・まぁASDだよね」
煮え切らない答え。(^_^;)
これからもずっと、
生きづらさを抱える娘に向き合って
ともに歩んでいく母親の立場として、
わたしは自分の気持ちのひとつの区切りが欲しかったんです。
だから、
「ななちゃんはASDです!」
とはっきり言ってもらったほうが
覚悟をもって前向きに彼女と向き合えると思ったんです。
診断がなければつい、
「がんばったらできる子だから」
(実際気分が乗ってるときはできることだらけ!)
と、娘に無理を強いてしまうかもしれません。
診断名をズバリ教えてもらえたら改めて
「ASDなんだからしょうがない!
ハードル下げてのんびりいこう」
ある意味、晴れやかな気持ちで
彼女の超個性に想いを馳せ、
寄り添えるママになれるかな・・・って。
わたしのように、
向き合い方の再確認と自分自身の気合い注入のために
あえて診断名知りたい!というママがいる一方で、
境目のないグラデーションに対して
診断名はつけられたくない、
というママもいるでしょう。
発達障害は血液検査やエコーやCTなどで
ハッキリとわかるものではありません。
心は決して数値化できません。
その個性(特性)の色合いが、
どれぐらい濃かったら「発達障害」と診断されて
どれぐらい薄かったら「グレーゾーン」と言われるのか。
診断されない「定型発達」とは
どんな色合いなのか?
その境目、線引きは定められていません。
子どもたちの発達は、
ぼんやりとしたグラデーションの世界です。
どんな子も確実に日々成長していき、
去年できなかったことが今年はできるようになったり、
去年がしんどかったことが今年は余裕になったり
成長とともに特性が変化していく
(診断が変化する)こともある微妙な世界。
だから、
曖昧な子どもの心の発達を
ひとつの診断名だけに当てはめて
固定的に見ていくことはできない・・・
ななの主治医が診断名について触れることが
一度もなかったのは
そういう理由だったのですね。
つづく