ママの『愛情』ってなんでしょう。
「愛情」ってなんでしょう。
愛情は、目には見えないし、
聞こえないし、触れません。
とても抽象的な感覚です。
子どもを大切に思っているからこそ、
誰かに「愛情不足じゃないですか?」
と言われたら、
自信がなくなってしまうことがあります。
わたしは子だくさんで
フルで仕事もしていて
確かに行き届かない部分は
多かったかもしれません。
至れりつくせり
1人の子どもを1日中かまって過ごす
というわけにもいきませんでした。
現在中学1年のななちゃん。
自閉症スペクトラム障害という
発達障害を抱えています。
小学校入学のあたりから
じわじわ特性が目立ってきて、
集団行動の雲行きが
怪しくなっていきました。
診断される前
2年生のとき、学校の連絡帳に
「仕事がお忙しいのは存じ上げておりますが
もう少し、ななちゃんと
関わる時間を作っていただけたらと
思います」
と書いてありました。
先生は言葉を選んで
とても丁寧な文章で書いて
くださったのだと思います。
でも
わたしはその文章を
「ママの愛情不足」と解釈しました。
声を殺して泣きました。
だって、
わたしはわたしなりに
ななちゃんに、
そしてほかのきょうだい児たちにも
最大限に愛情を注いできたつもりだったから。
当時、子だくさんのシングルマザー
だったこともあり
子どもたちを育てていくために
必死に働く必要がありました。
これ以上を求められたら
わたしはきっとキャパオーバーで
壊れてしまう・・・
それでも、
もっとがんばらなくちゃいけないの?
「なながこうなったのは
全部わたしのせいだ!」
子どもがその行動に至るまでには
いろいろな過程があったはずで
発達障害は育て方とは関係ないのですが
わたしはわたしを追い込みました。
「愛情不足」と
はっきり言われないまでも、
それを連想させるような
ニュアンスを持つ言葉の数々が放つ
負のエネルギーは
毎日真剣に子どもと向き合って
子育てしているママにとって
ものすごく重いものだと思います。
ただでさえ、
他の子たちが難なくできることを
うちの子だけできないって分かっただけでも
心配で胸が張り裂けそうなぐらい
辛い気持ちになるのがママなのに。
そんな弱った心にさらに
「もっと愛情をかけてあげて」と
追い討ちをかけられたら・・・
うちの状況なんか
なんにもわかってないくせに
軽々しくそんなこと言わないで!
反論したい気持ちもあったけど
わたしの弱ったメンタルは
攻撃より自滅を選びました。
子どもはママの所有物ではなく
人格を持った1人の人間です。
持って生まれたその子の性質があり、
それはママの持ったものと
決して同じではありません。
なので、いくら愛情があっても
ママの期待にまっすぐ沿うような
子どもにはなりません。
「こうなってほしい」
というママの望みは
叶わなくて当たり前なのです。
子どもの不都合のすべてが
親のせいとは限りません。
「愛情不足」と言われて
心が揺れたり傷つくこと自体が
愛情のある証です。
「愛情をかけなくちゃ」
と特別に意識することなく
自然に子どもに対してしている
お世話のすべてが
ママの愛情そのものなんじゃないかと
思います。