卒業
今日は娘の高校卒業式でした。
思春期子育て、やっとここまでたどり着きました。
中学入学の頃から始まった激しい反抗期に
母として、わたしは何度涙したことでしょうか。
情報過多の世の中、SNSの影響もあり、
わたしが子どもだった頃に比べて
今の子どもたちの交友関係は驚くほどに複雑化しています。
娘も、成長して視野が広がった分だけ
親、先生、友達、きょうだい・・・
周囲の言動から大きな影響を受けるようになっていきました。
「他人と自分はここが違う」
「自分は周囲からどう思われているのか?」
「なんのために生きてるのか?」
「幸せって何なんやろう・・・」
「親って何?」
他人と自分を比較して、自身を認識するようになり、
だけどまだ、多くの情報から自分を確立させるだけの
知識や思考が備わっていないために、
自立と依存に葛藤・・・
劣等感、優越感、心身のバランスがうまく取れなくなって
ストレスが次第に増えていきました。
そしてかなり不安定な状態となり、
一時、高校に通えなくなることもありました。
中学校までと違って高校は
出席日数や遅刻、提出物などを含む評定が
ダイレクトに進級や卒業に関わってきます。
だから、娘の将来を想うと、つい焦ってしまいました。
現状を1秒でも早く打開しなければならないと
慌ててしまいました。
目先しか見えない状態になってくると
わたしの頭の中には
「何がそんなに気に入らない?」
「どうして欲しいの!」
自分本位な思考ばかりが次々浮かんで
彼女の繊細な気持ちに寄り添うことができなくなりました。
(自分では、寄り添っている「つもり」でしたが)
娘のためと言いながら、
実は母親であるわたしがわたし自身を守るために
『普通の高校生』を強要しているだけだという本質が
頭のいい娘にはしっかりと伝わっていたようです。
そうして事態は、
どんどん悪循環になっていきました。
自分を客観視する能力が身についてきたからこその
思春期の葛藤、そして反抗的態度は
決して悪いことではないんです。
これからの人生を自立して生き抜くための苦悩は
正そうとするよりも、心の中で静かに応援しながら
見守っていればあげるだけでいいのです。
会話が噛み合わないことだらけでも構いません。
子どもが話しかけてきた内容に
良いとも悪いとも言わず、評価することも意見することもなく
ただ落ち着いて聞いてあげるだけで十分です。
待つ。
子どもが自ら学ぶその時が来るまで待つ。
負けるな、わたし!
思春期育児は、
親の力量が試される試練でした。
そうは言っても、
母親だって弱い人間です。
子どもにとっては器を広げ
土台を作るための大切な過程が反抗期なわけですが
親に対しても客観的な視点で、
クールに見るようになるために
干渉すれば
「ウザい!」
干渉しなければ
「わたしなんかどうでもいいんやろ!」
とうとう
「大人なんて、ろくなヤツおらんわ!
アホばっかりや!」
この世の中・・・
社会そのもの全拒否の勢いでした。
思春期の思考は、とても大人な部分反面
驚くほど幼い部分が混在していて、
冷静に観察すると本当にアンバランスです。
言ってることも、行動も
あまりに不条理、支離滅裂すぎて
大人もだんだんどうしていいかわからなくなってきます。
いいかげんにして欲しい。
もう勝手にすればいい。
(どうせほっとけないくせに(笑))
母親なのに
気の利いたことの一つもできず
かえって娘を傷つけることだらけ。
胸をえぐられるような悔しさと切なさ
自己嫌悪を何度も味わいました。
18年前、娘が生まれた時のこと
ヨチヨチ歩き始めた時のこと、
イヤイヤ期で困らされたこと、
幼稚園に通っていた頃のこと
元気一杯だった小学校時代・・・
単純に親のテリトリー内でなんとでもできた
かわいかった頃が走馬灯のように蘇りました。
なのに、いつから?
どうしてこんな風になっちゃったんだろう・・・
『思春期とはそういうものである』と
頭では理解しているつもりでも、
辛すぎて、難しすぎて、
「もう母親業をギブアップしたい」
「もう許してください、神様」
そんな風に考えてしまう自分がいて
わたしはわたしをダメママだと責めました。
そのくせ、そんなネガティブな想いとは裏腹に、
決して向き合うことから逃げない強さを、
どんなママもみんな持っていると思います。
わが子を尊重して接するようにと思っても
うまくいかないことばかり。
空回ってばかり。
さまざまな苦難を乗り越え(まだ途中かもしれないけど)
高校卒業式を迎えた娘は
最近見た中で一番輝いて見えました。
美しい笑顔に溢れていました。
大人でもない、子どもでもない18歳。
高校卒業は、母であるわたしにとって
幼稚園より、小学校より、中学校より
ある意味もっとも感慨深く、重みのある区切りになりました。
ともに歩んだ日々。
ここまで来ることができた「安堵の気持ち」が9割。
「寂しさ」は1割程度だと思っていました、今日までは。
が・・・なんでしょうか?
卒業式を終えるや否や、
急に、1割だったはずの寂しさのパーセンテージが急上昇!
寂しさがあるからこそ、親は子を想い、
子は親を想うのかもしれません。
わが家は子だくさんなので、
まだまだ家には小さな子たちがウジャウジャしています。
だから寂しいって感慨にふけっている暇もないのが
実際のところかな。
小学校はまだ3学期半ば。
日々の宿題チェックは休みなく続くし、
保育園だって、普段通りです。
下の子たちは案外クールなもんで
「すずちゃんおらんようなっても寂しくないで!
たいして変わらんやろー」
と言ってます(笑)
なんだか小さい子たちのドライな態度に
救われます。
中学生から高校生・・・
13歳〜18歳の怒涛の5年間。
そんな時期を経て
娘は、娘なりの考えを持つようになり、
周りの世界を見る目も変わって行きました。
15歳。
彼女がもっとも多感な時期にわたしが離婚したので
心の隅っこで、いつも
「傷つけてごめんね」の気持ちが拭えないままでした。
彼女が思春期にこんなにも思い悩んだのは、
自分のせいだ・・・って。
母も娘も、本当に大きな苦悩を
乗り越えてきました。
今日という節目に、彼女のキラキラした笑顔を見せてもらい、
わたしはまたひとつ、
子育ての偉大さと素晴らしさを知りました。
彼女は春からは初めて親元を離れて
慣れない土地で一人暮らしを始めます。
離れていても繋がっているという恩愛の感情が育つのは
大学生としてのスタートを切ってからなのかもしれません。
母も娘も、不安と希望でいっぱいです。
黙っていても食事が出てきた生活から、
自分で買い物をして、自分で作らなければなりません。
洗濯も、掃除も。
こういうことを通じて、ようやく
親へのありがたみを感じることができるかもしれませんね。
子どもの個性、家庭の事情、
生きているといろんなことがあるけれど、
どんな逆境や困難にあっても
嬉しいときも悲しいときも、
必ず親が味方であること。
言葉でも、態度でも
どんな方法でもいい。
うっとおしいと言われても
あなたを愛してるということを示し続ける・・・・
ただ温かく見守ることは本当に難しいですが、
きっと子どもは反抗しながらも
親の愛情を感じているはずです。
あなたの思考レベルが高すぎて、
ママはついていけないことが多々あります。
でも、根底はこれからもずっと、
あなたを支えて行きたいと思っています。
あなたの存在が
生きることの酸いも甘いも教えてくれました。
わたしの娘として生まれてきてくれて
ありがとう。
大切な大切な娘へ。
高校卒業おめでとう!!