個性 〜前編〜
わたしは子だくさんです。
妊娠出産・子育て経験値が高いことは
助産師という仕事に従事する上で、
「自分の強みを活かす」ことに
大きく繋がっていると思っています。
ハンパない実践の積み重ねがあるからこそ
生み出された
「わたしらしいママへの指導」
「わたししかできないママへの関わり方」
があります。
それは、学生時代に習った
教科書の内容から逸脱するものだらけです。
応用効かせすぎやろ!・・・な指導を提供したり、
診察時間外でも、プライベートタイムでも
必要とあれば
気になるママと連絡を取ってしまったり、
思い立ったら
とことん突っ走ってしまうことを
どんなに努力しても制止できません。
病院勤務していた頃は、
属している組織の規律、
規約に沿わなければなりませんでした。
まぁ、社会人として当たり前のことですよね。
でもわたしにとっては、
これが苦痛で苦痛でたまらなかったんです・・・。
わたしがしたいことはこんなことじゃない!
わたしはもっと患者さんに寄り添いたい!
でもこれ以上出しゃばったら規律違反・・・
思い返すと、わたしは自分の持つ
「個性」に振り回されて生きてきました。
型にハマることが苦手で、
つい枠外に飛び出してしまい、
同業者から煙たがられたり、不審がられることも
多々ありました。
自分は『変人』なんやなぁ・・・
何かが、みんなと違うんやなぁ・・・
ぼんやりと考えていました。
だからあの頃は、
『個性』なんてむしろいらなくて、
とにかくみんなと同じになりたい、と思っていました。
おとなしく、右にならえで
決められたことだけを黙々とやってれば
何も問題は起きないのに、
ひとたび、したいことが頭に浮かぶと
直感で動いてしまいます。
で、毎回上司に呼び出されて
おとがめを受けては自己嫌悪・・・
いちいちこんな思いをするのなら、
わたしはみんなと同じになりたい。
個性を捨てて、同じになろう。
頑張ってみたけど、できひん・・・。
チームで動いている医療職だから、
誰かが勝手な動きをすればみんなが困ります。
輪を乱す(乱してるつもりはないんですけど)人ばかりの社会は
成り立たないってこともわかってます。
わかっているんだけど、
患者さんのために・・・と思ったら
反射的に動いてしまうんです。
こういう変なヤツが
仲間に入れて欲しい、と願っても
あからさまに浮いてしまうのは当然ですね。
「あなたは変人」
そんな線引きをされているような気がして
居場所がないなぁ・・・と
寂しい気持ちをずっと抱いていました。
で、結局
助産師として、
わたしはわたしのしたいことを、
わたしのやり方で、
熱い想いを持って堂々と提供したい!!
もうこれ以上我慢するのやめて、
個性的になるしかないな~という発想に落ち着き、
ばぶばぶ開業に至りました。
「わたしは個性的だから」
最初から自分でそう言ってしまえば、
楽かな~って。
助産院を開業して、
こんなわたしを慕って来院してくださる
みなさまとの関係性を大切にしたいと思うので
「数ある助産院の中で、なぜばぶばぶを選ぶのか」
「HISAKOはどんな奴で、何ができるのか」
みたいなところは、ある程度伝えられたほうが
いいだろうと思っています。
職種がら、
どうしても自分の個性と向き合う場面に多々出会います。
なので、自分の持っている「個性」は
ある程度、自分で認識しておいたほうが仕事はしやすい、
と思っています。
でも。
自分の「個性」を意識しすぎて
自分を中心に考えると、だいたい方向性、間違えます。
個性なんて、あえて主張するほどのものではなくて、
ただ日常を積み重ねて行くだけで
いいんじゃないかと最近思います。
どんな人でも、
自分のことを客観的に見るのって、とても難しく、
そもそも自分が持っている本質的な個性には
気づけません。
また、わざと意識して
「周りと違うことをしよう!」と行動するのは
本来の個性とは言えないですよね。
気合いを入れてる時点で、基準が他人軸です。
周りと違うことという基準で考えている時点で
それはもう個性でもなんでもなく、
単なる「自分を認めてほしい」の
承認欲なのかな~。
病院勤務していた頃の若かりしわたしは、
「患者さんのため!」とか言いつつ、
たぶん自分のことしか考えていませんでした。
自分を主張しすぎていて、
『個性』っていうより、ただの自己中ですね~。
ああ恥ずかしい。
わたしの個性を誰も認めてくれないから
「個性なんかいらない」と思ったんやね。
尊重して欲しかっただけやん〜。
ああ情けない。
組織の人間関係の中で
居場所がなかったわたしは、
『個性』という言葉を利用して、
「こんな人がいてもええやん!認めてや!」
という押し売りをしてただけ
なのかもしれません。