打破!「自分に興味がないです」〜沖縄で取り組みたいHISAKOの野心〜
『いのちの授業』で
「自分のことイケてると思う人?」
という質問をします。
小学校低学年では、ハイハイハ〜イ!!
それはそれはたくさん、手があがります。
子どもたちは自分が大好き♪( ´▽`)
学年が上がるにつれ
「イケてる」の割合は減っていき、
大勢の前で堂々と挙手するのが
恥ずかしいというのもあるかもしれませんが、
中学3年生にもなるとあまり手が上がらなくなります。
欠点も含め、
どんな自分であってもありのままに受け入れ
自分自身を価値あるもの、
大切にしようと思う感情(自己肯定感)は、
「生きる力」の基礎になるはずですが
子どもも、学校の先生も、子育て中のママたちも
自分のことを否定的にとらえている人だらけ ^^;
先日、いのちの授業をした中学3年生に
この質問を投げかけたところ
「好きでもないし、嫌いでもない」
「イケてもなければ、イケてなくもない」
という子が何人かいました。
・・・いったいどういうこと?
「そもそも自分に興味がないです」
人生の主役である自分に
まったく興味がないというのです。
自分に興味がなければ
自分の好きなことや、やりたいこともわからないですよね。
自分が何が楽しいと感じるのかもよくわからないでしょう。
それってつまり、
「生きている」ことを実感しにくいだろうと思います。
小さな子どもたちは自由奔放で
相手のことなどおかまいなし、自己主張全開。
自分を抑え込む姿などカケラもありません。
自分への興味がすべてですよね。
かつてはみんなそうだったはずなのに、
いつ、何が原因で
自分への興味を失ってしまうのでしょうか。
誰かと比べたり、平均と比べたり
それを協調性だと言って評価し、
その人らしさ、個性を叩き潰す判断基準しかない
現代社会がそうさせたのかもしれません。
もっとも身近な相手から
「ちゃんとしなさい」「ダメな子」「あなたは劣っている」
悪いところを直さないといけない、と
否定的なメッセージを送り続けられ、
できないのは自分が悪いと思い込んで
自分を大切にする気持ちが失われてしまったのかも
しれません。
やりたいことをさせてもらえず
世間体で押しつけばかりの習い事や勉強を
させられたのかもしれません。
大人同士のモラハラを日常的に見てきて
人とのコミュニケーションの方法を
学べないまま成長してしまったのかもしれません。
人の心は
本当に繊細にできていると思います。
「自分には価値がない」という思い込みは
「何もしても無駄」という虚しさの感覚を抱き
やがては自分への興味を失ってしまいます。
これ以上傷つかなくて済むように
自分のプライドを叩き壊して殻に閉じこもり、
何かにチャレンジすることを諦めてしまいます。
最終的には
人生に対する失望をもたらしてしまう
かもしれません。
自分に興味を持てる人
自己肯定感が豊かな人は
自分のいのちが大切であることを知っています。
性や身体についての正しい知識は
自分を大切に思う気持ちを育みます。
自分のいのちが大切だと思えてはじめて
他者のいのちが大切だと思うことができ、
自分を大切に思える気持ちがあるからこそ
他人のことも大切にできるのです。
自分を本当に大切と思える子、
自分に興味を持てる子は
他人からの脅威や暴力を感じたときに
一生懸命に自分を守ろうとすることができるので
あらゆる暴力被害に合いにくいということも
研究で明らかになっています。
つまり、自己肯定感は
人のいのちを考える上で
とても大切な土台になる感情なのです。
春にわたしが行く沖縄は
不十分な衣食住、孤立・排除、
不安・不信、低い自己評価
低学力・低学歴、文化的資源の不足
適切なケアの欠如、若年妊娠・出産、虐待、ネグレスト
不利の蓄積、ライフチャンスの制約
このような社会問題がとくに大きい場所です。
若者の貧困→大人の貧困→次世代の子どもの貧困
沖縄の貧困の世代間連鎖が断ち切れないのは
なぜなのか・・・。
ここでいう貧困とは
ただお金がないということだけじゃありません。
生活に必要なお金やものがない状況では
豊かに生きるためのさまざまな機会が奪われます。
人とのよき出会いや社会的なつながりなど
支えあったり、協力し合ったりの世の中に
馴染めなくなります。
お金やものがないという物質的経済的な貧困と
社会的な貧困、2つが連鎖することで
人生に影響を与えるほどの
多くの不利を負ってしまうことがあるのです。
子ども時代に
基本的信頼感、自尊感情、知識技能、学歴資格などを
得る機会が奪われれば、
大人になっても
彼らは社会の蚊帳の外。
いつまでたっても疎外され続けることになるでしょう。
貧困問題を深く考えたとき、
根っこに、そこに生活する人々の
「自分を大切にする気持ちの欠如」
「自分への興味の低さ」が
ネガティブな貧困連鎖を繰り返す理由のひとつだという
結論にたどり着きました。
沖縄にかぎったことではないですが
子育てしているパパママの多くが
自分を大切に思えないまま大人になり、
親となり、社会生活を送っているのではないか・・・
それは、ばぶばぶで
たくさんのママたちと接していて
日々感じることです。
子どもが自己肯定感を保つには
ママの影響が大きいです。
もちろん子ども自身の要因や、環境の影響もありますが
子どもたちはママが自分をどう見ているかで
自分の価値を推し量っていることが多いです。
ママ自身が、自分の価値を低くとらえていたら、
その気持ちはダイレクトにわが子に投影してしまうでしょう。
ママが子どもを認め信じてあげなければ
子どももママと同じように自分を大切にできなくなり、
自分への興味も保てなくなります。
自分の価値を見出せない子は
他人のことも大切にできなくなり
そのまま貧困の連鎖に
はまっていくのではないでしょうか。
社会には、友達を助けようとか
周りを思いやろうとか、
自分のことより、まず周りの人たちを大事にしなさい
というメッセージばかりがあふれています。
でもわたしは、どんな人にとっても
大切にすべき基本となるのは
まず『自分』だと思っています。
当たり前のことなのに
子どもたちに伝えられていないのが
悔しくてなりません。
なにか優れたことができる自分だけを認めるのではなく、
自分の存在を認めること。
自分に興味を持つこと。
自分の好きなこと、興味あることを遠慮なくすること。
自分をもっと守っていいんだということに
気づいてほしいから
わたしはこれからも『いのちの授業』を行います。
日本の学校で教える性教育は
生殖というところに限定されているのが残念です。
「性」は、
「心」「生」が合わさってできた漢字です。
恋愛や妊娠出産、思春期の体の変化という
狭いことではなくて
生まれてから死ぬまで人生のあらゆるところに関わるもの・・・
それが『性』だと思います。
「人と違ってもいいんだよ」
という抽象的な話をしても、
なかなか心には入っていかないけど、
身体や性もふくめて
「みんな違うのがあたりまえ」
という科学的な知識を伝え理解してもらうことで
人はもっと自由に、楽に生きていけるんじゃないかと
考えています。
現在進行形で
「自分に興味がない」という子どもたちに向けて
心の貧困が進行していかないよう、
自分で自分の貧困の負の連鎖を断ち切れるよう
わたしにできることは
本当に微力かもしれないけど、
まずは頭の柔らかい子どもたちから
アプローチしたいと思っています。
自分に興味を持つこと、
自分の存在価値を再確認してもらう
『いのちの授業』は
沖縄ではとくに、絶対必要だと思うから!!!
完全ボランティア押し売りの勢いで(笑)
全部の学校で展開してやる!
と野心を燃やしているところです。
そこまでするか・・・?
と言われても!
そして、
精神的にも肉体的にも
追い詰められやすい環境にある貧困家庭の中で
子どもを育てているママ、または
ママになろうとする人たちの繊細な『心』にも焦点を当て、
途方もない志を振りかざし、
貧困の負の連鎖をほんの少しでも減らすべく
全力投球で寄り添っていきたいと思います!