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2019.12.26

「できること」「できないこと」を数値化する?

うちの5年生、ななが発達障害なんだよねーって話を
ブログでよく書いています。

その影響か、最近ばぶばぶでは、
子どもの発達に関する相談が
ものすごーーーーーーく!
多いです。

3歳の男の子。
「こだわりが強いのが気になる」
ママは保育園の担任から再三、指摘を受けていました。

確かに男の子には、
「これはやりたくない!」
「決まった順番がいい!」
など、いろいろなこだわりがありますが、

毎日楽しく保育園に通い、
クラスのお友達と仲良く制作に取り組んだり
園庭で元気に遊んだり
集団生活における不適応行動は認められません。
通園の行き渋りなどの困った行動も
とくに見られません。

だけど、担任の先生が書いてくれる
毎日の連絡帳には
彼の微細なこだわりについての
否定的な捉え方ばかりが目につきます。

「今日は○○ができませんでした」
「今日は××の行動がとても気になりました」

連日続くとさすがに、
読む側としては凹みますよね。
わが子はダメな子なんだ。
みんなと比べて劣っているんだ。
という負の先入観が植え付けられてしまいます。

どの子にも、いいところがいっぱいあるんだから、
連絡帳では子どものポジティブを
積極的に伝えて欲しいというママの気持ちは
とてもよくわかります。

男の子のママは
涙ながらにわたしに訴えました。

「私だって、
あの子にいろんなこだわりがあるのは感じています。

私はママとしてまだ未熟だし、
イライラすることも多いです。
だけど、毎日精一杯この子に向かい合っています。

いいところに目を向けて
素敵だな、独創的ですごいな〜と
前向きにとらえる努力をしてることを
先生に毎日ダメ出しされるといっぱいいっぱいになる・・・」

男の子が、
『どこまでできて』『どこができないのか』
数値化してほしい、と
担任の先生から言われたのだそうです。

ななが、9歳のときに病院で行った『数値化』は

・IQ(知能指数)ー全体的な知的水準
・言語理解ー言語的なことに対する理解や把握の能力
・知覚推理ー目で見て物事を理解しやり操作する能力
・ワーキングメモリー記憶や注意集中力に関する能力
・処理速度ー手先の器用さやスピードに関する能力

これらの項目を
それぞれ100を平均として得点化します。
その平均からどのぐらい離れると
どういう分類、意味になるか・・・というような
医学的指標のひとつとして用いられます。

発達障害は
マニュアルやガイド化しにくく
診断名がついたことで
先が見えるというものではないので

数値化だけで子どもの評価や解釈はできず、
「このような傾向がある」という特性の目安は導かれても
発達障害かどうかなんてわからないのです。

数値化よりもなによりも、
日頃の行動、性格特性、生育歴など
関わろうとする支援者の鋭い観察力とアセスメント力、
寄り添う心によって
たくさんの情報を総合して
その子の特性を知っていくことが大事です。

「得意なこと」「苦手なこと」「好きなこと」「嫌いなこと」
そして、その特性に合わせた関わり方のコツは
数値化からは見えてきません。

3歳児はどんどん発達していきます。
これから先、できることはどんどん増えていき、
逆に発達するからこそ、できなくなることも
出てくるはずです。

数値ばかりに目を向け物事を判断しようとすれば
本人の成長発達自体に目を向けられなくなり
本末転倒ですよね。

また、3歳半時点での「できること」「できないこと」
はっきり決めてかかるのも
どうなのかなぁ・・・と感じました。

子どもの成長発達は
全員が異なる中身とスピードで各々が進んでいくものなので
『すべてが例外』と言えると思うんですよね。

平均・普通・標準的に
説明すればするほど目の前の子どもの
素晴らしい個性をすべて潰していくとさえ感じます。

うちの発達でこぼこ、ななちゃんは
11歳の元時点、
その場の状況、天候、気分、関わる人、
目の前にあるものなどによって

「できること」「できないこと」
ころころ変わります。
それらが一定してることなどまずないです。

そう考えると、
数値化によって「できない」を評価するという
男の子の担任の先生の意図ってなんなのかなぁ?
なんの意味があるのかなぁ・・・って
疑問なんですよね。

子どもの一番の支援者であるはずママの
モチベーションを底まで引き下げてしまう
可能性があるという意味で、

「できない」という視点で子どもを見る
否であり劣の考え方は
ママと子ども、両者の個性と前向きさを壊しかねない
危険性があると思います。

わが子の成長発達に寄り添うなか、
なにかが違う・・・と生じる漠然としたママの想い。

発達にでこぼこがあろうとなかろうと
子育てというものは、
子どもの心にママの心が重ならないことの連続です。

子どもとママは、同じ人間ではないから
当たり前のことなのだけど、
噛み合わない歯車に悔しさともどかしさを感じ
ママは自分の子育ての方向性について
葛藤を繰り返します。

ときには、力量不足の自分を責めることもあるし、
発達途上の子どもの行動を
「甘え」「わがまま」ととらえて、
改善しなければならない、しつけなければ!
と、子どもの小さな心を
追い詰めてしまうこともあります。

大人の思い描く理想のペースで
子どもが発達してくれないことは
ママの育て方のせいではありません。
・・・というか、誰のせいでもありません!

発達障害(自閉スペクトラム症)の
ななちゃんを育てていて
ときどきふと頭をよぎるのは

わたしもこの子も、これから先もずっと
この、個性的でもあり面倒でもある特性と
付き合っていくしかないんだなぁ・・・ということです。

ばぶばぶでは、
ななよりもっと重度の自閉症の子のママが
荷を背負う覚悟と同時に襲ってくる
崩れてしまいそうな自らの心の内を話してくれたりします。

音や光や匂いや肌触りに
過敏なストレスを感じ、反応をしてしまう子たちが抱える
ストレスってどんなに生きづらい世界なのか・・・
きっと、想像を絶する苦痛が
そこにはあるんだろうなと思いを馳せます。

リビングで、玄関で、寝室で、お風呂で
何気ない生活の一場面で
ママがわが子と心を通いあわせようと
必死で向かい合っている姿を
想像しては胸が痛くなります。

ななは発達の特性はあるものの、
5年生相当にコミュニケーションをとることができます。
会話に違和感もなく、
落ち着いているときは
ごく一般的な11歳の女の子です。

ですが、
一旦イライラのスイッチが入り爆発すると
特性ゆえの激しい罵倒、暴言、
物を投げつけ、噛みつき、蹴り飛ばし、
ときには物が破損することもあるし、
最悪、相手を怪我させてしまうこともあります。

学校ではトラブルメーカー。
事件がたびたび起こり、
そのたびにわたしは周囲に本当に申し訳なくて
穴があったら入りたい気持ちになります。

わが子の成長を垣間見られるのは楽しみです。
反面、苦痛でもあります。
それは発達うんぬん関係なく、
思春期育児においても
わたしは何度も実感しました。

子育てのゴールってなんでしょうか。

日々のわが子の言動、
迷いと途方にくれる思いに揺れながら
目の前のわが子の言動に一喜一憂、
今歩いているこの道さえも
本当に正しいのかどうかわからなくなり不安が募ることだらけです。

そんなときに浴びせられる、
先生や旦那や実家等からの
配慮のない一言や助言は、

悪気がないにせよ、
デリケートなママの心に突き刺さります。
ときには突き破ってしまうことさえあるかもしれない。

この苦労は終わりのない苦労なのだろうか・・・
いつまでわたしはこのたいへんさと付き合って
いかなければならないのか・・・

子どもの発達に悩む複雑な気持ちを理解してくれる人に
巡り会えず心身ともに疲れ果てているママを
わたしは何人抱きしめたことか・・・!

辛かったね。
しんどかったね。
よくここまでがんばってきたね。

言葉なんかじゃ足りません。

児童精神科の医師ですら、
子どもの発達の見通しを明確に告げることはできません。

激しい思春期の反抗は、
本人ですら、いつ終盤迎えるのか予言できません。

子どもの発達の速度を変えることも、
子どもの能力を都合よくアップデートすることも
誰にもできません。

がんばるママに言葉を届けるとき、
わたしは相手の気持ちに自分が乗り移るぐらいの勢いで
寄り添うけれど、

最大限に伝わると思われる言葉をよりすぐって、
適切だと思われる言葉を贈っても
目の前のママにはまったく響かない場合もあります。

相手の微妙な表情の変化を読み取り、
わたしの言葉が跳ね返されているのか、
それとも浸透したのか、
スルーされていないか、
誤解されて伝わっていないか、
慎重に微調整しながら話します。

答えのない疑問を共有し、
今できる小さいことを提案し、
それを積み重ねていく作業をただ応援していく・・・
わたしには、それしかできないけど・・・

一生懸命、子どもに向き合い、
子どもを愛していくママに敬意を表し、
感謝と労いを伝えたい・・・

がんばるママの力になりたいです!

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